ナミブ砂漠に「なにもない」を見にいく

時々、何もない景色を見たくなる。なぜなのかはわからない。人も建物もないただ広大な空間、それを無性に見に行きたくなる。

たしか土曜の午後、自宅の窓から向かいのマンションの建物を眺めていたとき、どこかできるだけ遠くに行きたくなった。

ナミブ砂漠のナミブは、現地民族の言葉で「何もない」という意味らしい。このエピソードにすごく心を惹かれた。ここに行けば、本当の「何もない」があり、本当の「何もない」を体験できるはずだと思った。それにずっと憧れていた砂漠のイメージが重なって、どうしてもその景色を見てみたくなった。

それから何日かかけて、旅行のリサーチをしたり、あれこれ相談したりして、アフリカ南部の国 ナミビアナミブ砂漠を最終目的地として旅をすることにしたのだった。

首都 ウィントフック

11月初頭、午前。アフリカ南部 ナミビアの首都 ウィントフックの空港に到着した。東京から韓国経由で飛行機に乗り、エチオピアでコーヒーを飲み、南アフリカで赤ワインと自然を楽しんだあと、ようやくナミビアに着いた。

ナミビアへの飛行機の窓からは、赤い地表に血管のような川が張り付いている風景が見える。

ナミビアは、アフリカ大陸の左下、一番下の南アフリカの左上にある。地図で見ても、こんなところになにがあるんだろう、と思ってしまうような場所にある。

ここまで飛行機に乗っている時間だけで、片道20時間以上のかなり長い距離の移動をした。ナミビアに到着しただけですでに感慨がある。

ウィントフックの街は、意外にも近代的な街だった。道路は広く綺麗で、歩道もよく整備されていて歩いていて楽しい。そこそこの大きな建物もある。ナミビア自体、元々はドイツの植民地だったらしい。

ドイツ風のペンションホテルで旅仲間の友人と集合した。ナミブ砂漠ツアーのピックアップを待つ間、ホテル隣のカフェで朝ごはんにスクランブルエッグを食べたりする。

それでも時間があったから、近くのショッピングモールまで歩いていってぶらつく。日本で言うと地方のイオンモール並に店舗は充実していて、ここなら普通に住めそう、と感じた。

歩く途中で見た、ジャカランダの紫の花が綺麗だった。

砂漠への旅

昼過ぎに、ツアーガイドはトヨタランドクルーザーでホテルに現れた。車の中でツアーの行程を英語で聞く。

今回は3日間のプライベートツアー*1で、ガイド、僕、友人、男3人で砂漠を巡る旅をすることになるようだった。

ツアーガイドの名前はベロンと言う。ベロンさんは身体が大きくて落ち着いた感じの雰囲気。色々なことを英語で丁寧に説明してくれる。少しだけ片言の日本語を話す。カワ、サバク、アリガトウゴザイマス。ときどき日本語の単語を交えて英語で話してくれる。

1日目は、ナミブ砂漠に向かってとにかく車で移動する。ナミブ砂漠へは公共交通機関がほぼないので、車で移動するしかない。約4時間、240km を爆走する。ナミブ砂漠のメインスポットの近くにある宿まで向かう。

ナミビアは日本の約2倍の面積がある。土地のスケールが大きい。ナミブ砂漠の面積だけでも日本よりも大きい。広大な国土に約250万人が暮らしている。

何もない景色の連続

街を出て、少し車を走らせると、途端に景色はとてつもなく広大になる。何もない景色の第一形態と言ってもいいと思う。木がポツポツと生えている草原が地平線まで広がっている。直線上の道路の周り以外に建物など人工物はほとんど見えない。

さらに走っていくと、樹木の数がもっと少なくなって、別の形態の何もない景色が出てくる。平坦な空き地が360度地平線まで際限なく広がっている感じがする。

信号もない真っ直ぐな道を、車は時速130kmで走り、何もない景色が流れていくのが見える。

砂利道の振動

アスファルトで舗装されているのは基幹道路だけで、砂漠に近づく道は途中から砂利道になる。それでも構うことなく常に車は時速100km以上で走る。

道路というか、荒野を横切って爆走している感じに近い。タイヤが石ころを蹴飛ばしながら進んで、車体は常にガタガタ震える。小刻みな振動がシート越しに身体に伝わってくる。

ここまで来ると車ですらあまり見なくなる。たまに対向車が通り過ぎることがあると、砂埃で道の前が見えなくなる。マッドマックス 怒りのデスロード感がすごい。

景色も、整備されていない駐車場が無限に広がっている感じになってくる。土がカラカラに乾燥している。街中でLTEで繋がってた携帯の電波も3Gになり、いつしか完全に電波を失った。

途中、木の上に大きな藁の塊がある場所で止まって、これは鳥の巣だと説明してくれる。鳥が何世代もかけて草を運んで、大きな巣を作るけど、最終的には木が重さに耐えきれなくなって巣ごと落ちて壊れてしまうらしい。

バード・ネスト

峠を越える

峠を越えて進む。峠の上からは広大な土地と緩やかなカーブを描いて伸びる道がみえる。

この峠から向こうが広義のナミブ砂漠らしい。

峠の坂を登り降りする道だけ、砂利道ではなく、舗装されている。たぶん運転をミスるとほんとにやばいので、舗装しているんだと思う。ここまでずっと時速100km以上で飛ばしてきた豪快ドライバーのベロンさんが、すごくゆっくり慎重に車を運転する。

景色が、サバンナのような乾いた黄色い草がわさわさ広がる草原に変わる。またさっきとは別の形態の何もない土地が現れる。ただ、何に使えるわけでもない無用な土地で、ほんとうに何もないことだけが変わらない。

すでに砂漠は始まっている。砂丘はないが、極度に乾燥した土地で山には木が一本も生えていない。

何もない土地にも色々あるのだな、と知った。

孤独という街

ソリテア (Solitaire) という砂漠近くの街で休憩する。フランス語で孤独という意味の街。砂漠の中の孤独の街、ということなのかもしれない。

街といっても、ロードサイドの道の駅をさらに小さくしたくらいの大きさしかない。ベーカリーがあり、名物はアップルパイらしい。アメリカ中西部の荒野っぽい雰囲気がなんとなくする。

少しずつ少しずつ、景色が本物の砂漠の姿に近づいてくる。木は少なくなり、石は細かくなる。

デザートロッジ

ソリテアの街を過ぎると、1日目の目的地である宿 ロッジに着いた。

小屋が連なったようなこじんまりとした宿だけど、意外にも綺麗で快適だった。一つの小屋が一部屋になっていて、窓からは砂漠と地平線が見える。デザートビューでとても嬉しい。

テラスから一歩出ればその先には平原しかないからどこまでも走っていける。朝には、鳥や野生動物が近くまでやってきたりする。

ロッジにはチルする用のプールもある。もちろん100%のデザートビュー付き。

夕焼けとディナー

テラスにテーブルが用意されて、地平線と夕暮れの中でディナーだった。雲一つないからか、コンピュータで描いたような赤いグラデーションが空を囲うように現れるのが見える。

ナミビアの食事には特に期待せずには来たけど、意外にもどれも美味しい。サラダや肉に赤ワイン、楽しい夕食だった。キャンドルの光だけを明かりにして食べる。

砂漠の中へ

2日目 朝5時。夜明けとともにロッジを出る。コンピュータのスクリーンセーバーみたいな白から青い闇へのグラデーションが見える。嘘みたいにすごい景色が多くて、現実感がない。

今日の目的地は、ナミブ砂漠ツアーのメインスポットで最終目的地になる。Sossusvlei という砂漠と海のちょうど中間部に位置する場所まで車で進む。ここからが本当の砂漠の中だ。

何もない景色にも慣れてきてしまったけど、土地にもっと何もなさが出てくる。道は直線で、周りには平面と山があるだけだ。

赤い砂の山

赤い砂の山が見えてきて、最初の砂丘に着く。本物の砂漠に来たという感覚が急にしてくる。

砂がムラのない赤かオレンジ色で、火星か別の惑星に来たような感覚になる。

手で触ってみるとサラサラで嬉しくなる。他には誰の痕跡もなくて、歩くと自分達の足跡だけが砂の上に残る。早朝で太陽が低い位置にあるから、影がとても長い。くっきりとした黒い影が砂の上にあって、もう一人自分がいるみたいに見える。影の自分は、やたらと足が長くてクネクネしてて宇宙人みたい。

砂の表面は、近づいて見ると揺れる波のような縞になっている。風が模様を作っている。

ベロンさんが地面の砂をホワイトボード代わりにして地図を描く。カワ、サバク、ウミ。日本語の単語を使って、砂漠の授業をしてくれる。

僕は砂に夢中になってて、何も聞いてなかった。谷から地下を川が流れるようになってるとか、海から風が吹いて涼しいとか、言ってた気もする。

砂丘を登る

道を進むと、砂丘がたくさん見えてくる。太陽の位置が低いから、ちょうど砂丘の片側が影になって黒くみえる。

Dune 45 それが砂丘の名前だった。大きな砂丘で、尾根になっている部分を登ることができる。

遠くからの見た目は形が単純で簡単に登れそうに見えるが、砂を登るのはむずかしい。油断すると、足が砂の中に吸い込まれてしまう。体力を消耗してしまう。

風が吹くと、砂の表面がきらきらと光る。砂丘がどこまでも連なっていて美しい。

砂丘を登ってはじめて気づいたけど、砂は液体だ。手で砂を押すと、波のように表面で砂が流れる。歩くたびに砂が波紋みたいに流れる。斜面で立ち止まると、足がスニーカーごと砂の中に浸かってしまう。近づいてみると、斜面にも風でつくられた細かい縞が見える。

山のサイズのサラサラの砂場で遊んでいる気分になれて楽しい。

砂丘ではない部分の土地は、黒くて異世界の空間みたい。

砂丘を降りるときは斜面を走ると気持ち良い。誰もいない傾斜を足が引きずり込まれないようにサッサと進んでいく。

余談だけど、昔この砂丘から歌手のMISIA紅白歌合戦に中継で出たらしい。「だから俺はMISIAが好きだ」とベロンさんは言う。

それなら、俺たちは今、日本人で最もMISIAに近い存在だ。その場でMISIAごっこをはじめた。 ”You're everything あなたが想うより強く” の歌詞のイメージしながら砂丘の上でポーズを決めて写真を撮った。ちなみに、宿に戻ったあと動画を見てみたらポーズは全然違った。

砂漠のマッサージ

砂漠の奥に向かうにつれて、完全な砂漠の道に入る。4WDの車が上下にぐわんぐわん揺れる。

「これが砂漠のマッサージだ」ベロンさんは嬉しそうに話す。
「でも大丈夫だ、ジャパニーズトヨタカーは最高だ」この男はトヨタランドクルーザーを神の次に信じているのだと思う。

デッドフレイ

デッドフレイ。死の沼もしくは死の谷、という意味。ナミブ砂漠を知ったとき、はじめに心を奪われて憧れた景色が目の前にある。

砂丘が川をブロックして完全に水を失ってから、約1000年前から木が死んだままの状態になっている。高い砂丘に囲まれて、死んだ木がポツポツと立っている以外には本当になにもない。粘土質の土が乾燥して沼だった部分が白い。

1000年前からこの空間だけ時間が止まっているようにも感じてしまう。限りなく死に近いイメージだった。ダリの溶けた時計の絵を思い出す。

限りなく死に近いこの空間で遺影を撮ってもらいたくなって、たくさん写真を撮ってもらった。

砂漠の終点

今日2回目の朝ごはんを食べるためにピクニックをした後、砂漠ツアーの終点である Sossuvlei に着く。

地下に流れる川があるのだが、ここがその川の最後になっている。ここから先は水すらない、本当に何もない砂漠なのだと思う。

サンセットドライブ

砂漠ドライブが終わって、ロッジに帰ってきた。

ランチを食べる。ナミビアメロンとチェダーチーズのフルーツサラダが美味しい。

夕方に、サンセットドライブに向かう。ロッジの私有地内にあるマーブルマウンテンという小さな山の間に行く。

黄色い乾いた草が生えた平原をゆっくり車で移動する。途中、野生動物の群れがいるのが見える。スプリングボックやオリックス、立派な角が生えた鹿のような動物たちが自由に走ったりしている。

地平線の先までなにもなく、平原が広がっている。地平線の向こう側すべてから風が集まって僕を通り過ぎていくみたいだった。とても心地よい風だった。

僕たち以外には誰一人いないし、人工物ですらなにもない。広大な平原の景色を独り占めしているみたいだった。

ウィントフックビールを片手に地平線に沈んでいく太陽を眺める。太陽と空の境界がゆらゆら揺れて、夏のアイスクリームが溶けていくみたいだった。マークロスコの赤い絵を思い出す。

地平線から赤紫のグラデーションが描かれるように現れて、柔らかく夕暮れ後の世界が訪れる。日が沈んだ後の紫色の世界を見ながら、車でロッジに戻る。

砂漠の星空

ロッジに戻り、ディナーを食べた。ベロンさんと「MISIAのあの曲の名前はなんだ?」「Everything だよ」というような会話をする。”優しい嘘ならいらない ほしいのはあなた” 地球の裏側まで来て、MISIAの歌詞を何度も思い出すなんて思ってもなかった。

部屋のテラスから外に出て見た星空はとてつもなかった。テラスから出た先から地平線まで周りに明かりもなにもない。空を見上げると、綺麗に丸くて黒い天球が見える。

砂漠の星空はこれまで見たことのある星空とはまったくちがった。天球に無数の大小の穴が開いたように空を光の点が覆い尽くしていた。空はどこまでも広く地球の半分が自分のものになったみたいだ。何分も暗闇の中にただ立って、空を眺めていた。

カメラで星空を撮ろうとしたけど、どうやったって写らなかった。どうやってもSNSにシェアできない景色もあるんだなと思った。君にも見せてあげたい。

イルミネーションみたいに無数に星が輝いていて、燃えているように明るい。星座を探したけど、星が多すぎてまったくわからない。南十字星をどうしても探したかったから、最終的には十字に見える気がする星をいくつか見つけて、俺の十字星ってことにして寝た。

砂漠から帰る

帰り道は行きとは別のルートではあるが、またも何もない広大な土地に囲まれた道をひたすらに進むことになる。

帰りは家畜をよく見たように思う。「ここで育つ牛たちは、広い土地で放し飼いされていてストレスがない。だから美味しいんだ」とベロンさんは言っていた。羊が道路に飛び出してきたときには "Sheep is always stupid..." とぼやいていた。

同じような砂利道を走っているがもはや慣れてきた。無際限に広がる何もない景色を楽しみながら車に乗っていた。

舗装された道に戻ったとき、車が滑るように進むので逆に驚いた。道路に戻り、LTEの電波が戻り、人の姿を見るようになり、人工物を見るように戻っていく。人間の世界に戻ってきた感覚がある。

13時前にはウィントフックの街に到着した。それからビールを飲んだり、キリンの肉を食べたりした。

旅の終わり

帰りはウィントフックから飛び、エチオピアと韓国で乗り換えて、東京に戻ってきた。

今回の砂漠への旅で、何もなさというのにも様々な形や色があるということを知った。単に「なにもない」があるのではなく、様々な「なにもない」があるのだった。北極に行ったときも何もない原野を見たが、それとはまったく色の違う何もないだった。

砂丘の赤く光る砂、デッドフレイの死の空間、地平線から平原を吹く風、そして特に砂漠の星空、が心に残っている。

なにもない砂漠なんかに行ってどうするんだ?と自分でも最初は思った。今回なにか意味があったとするなら、日常にない風景を手に入れて、記憶の中に置いておくことができることかもしれない。

砂丘の赤い砂に触れた記憶をときどき取り出してみては、頭のなかで再生する。自分の中にそういう風景があるのがとても嬉しい。

*1:ウィントフック出発のナミブ砂漠ツアーは事前にネットで手配して、宿泊代等すべて込みで1人約8万円だった