オマーン 中東の国を静かに旅する

エジプトを巡ったあと、アブダビを経由してオマーン・マスカットに到着した。オマーンは良い国だと複数の友人から前から話に聞いていた。

オマーンアラビア半島の南東、ドバイやアブダビのあるアラブ首長国連邦の南側にある。

エジプトで心を消耗したあと、丸1日かけた移動で体力も消耗していた。マスカットに着いたのが深夜2時だった。空港からホテルまでタクシーで移動した。

タクシー運転手のおじちゃんがちゃんとメーターを使ってくれてしかも料金の端数をまけてくれて、普通の優しさに泣きそうになる。普通のタクシーに乗れるだけで感動してしまう。

大人の静かな国

翌朝起きて街を歩いていると、ああここはすごくいいな、と思った。すぐに好きになった。

まず、道が綺麗で歩きやすい。なんだかツヤツヤしている。自由にフラフラと歩ける。

外の雰囲気が全体として静かだ。ちょっと不思議に感じるけど、歩いている人をあまり見なくて、普段でも日本の早朝の街に似た静かな雰囲気がある。

気候が良い。海から来る風が気持ちいい。1月のマスカットは昼が27℃くらいで理想的でちょうどいい気候が続く。雨もまったく降らない。カフェまで歩いていって、ゆっくりテラスに座ってコーヒーを飲んでいるだけで、良い気分になった。

海岸まで行くと、長くて綺麗なビーチがある。ビーチもあまり人がいなくて、こんな静かなビーチはなかなか見たことがない。砂浜が遠く浅くて優しい。宗教上の理由があって泳ぐ人などがいないという事情もあるらしいのだけど、それにしても静かだ。

人はカフェのテラスに座って話をしたり本を読んだりしている。時間の流れ方がすごくゆっくりしている。

天国があるなら、きっと天国もこんな感じで明るくて暖かくて静かで、ちょっとだけ味気ない感じなんだろうな、と思った。そのちょっとの味気なさでさえ好きになれそう。

旅のしやすさ

オマーンは旅がとてもしやすい。

英語が広く通じるのが嬉しい。大抵どこに行っても人が英語を話してくれる。人によっては多少アラビア語訛りがあるときもあるが、特に問題にならない。

店の看板でもアラビア語に英語が併記されている。アラビア文字がニョロニョロしててかわいい。

人も穏やかな印象で、親切だった。観光客が少ないというのもあるのかもしれないけど、優しくしてくれる人が多い。レストランの店員が僕に純粋に興味を持って会話してくれたりする。

物価は日本より少し安い印象で、治安も良い。外務省の安全情報を見ても、オマーンは真っ白で安全。

移動に車が必要なことが多いけど、公共交通機関として綺麗で安価なバスが走ってるし、その辺にタクシーがいるのであまり困らない。

人口の半分以上がオマーン人で、大部分がアラブ系なのでアラブ系文化を感じやすくて、旅をしていて面白さを感じやすい。アラブ民族衣装を着ている人々が多く、見るだけで異国を感じてテンションが上がる。アラブ首長国連邦のドバイなんかに行くと、人口の9割が外国人労働者でインド系が多すぎてここはインドなのか?と思ってしまうこともある。

博物館に行く

海岸の道路をタクシーが走る。道路沿いに壁のような岩山が立つ。岩肌の露出感がカッコイイ。純白の建物が並ぶのが見える。

オマーン国立博物館を見学した。白くてツヤツヤした建物で、中でダウ船や各地の装飾品など海の民らしい展示物が見れた。

オマーンはかつて海洋貿易国家として栄えていた国で、歴史的な深みがある。砂漠の中に石油と共に湧いてきたような都市じゃないことを国民は誇りにしているらしい。歴史的な観光名所もあるようで、古い要塞などが残っている。

スークにも寄る。ここだけは観光地感があって、何かを買おうとすると価格交渉が必要で値段をふっかけられたりする。

価格交渉をしていて思うのは、通貨の単位が大きくて油断すると多めに払ってしまうこと。1オマーンリアルが日本円で約400円で単位がでかく、リアルさを感じる。単位があまりにでかいので、その半分の1/2オマーンリアルもある。1オマーンリアル単位で交渉していると、妥協して400円高い値段で買ってしまったりする。

それでも、人通りが少ないし、地元の駅の小さな商店街感があって他の国に比べると歩きやすい。

シャワルマとアラブスイーツ

食べものに関しては、迷ったらシャワルマつまりケバブを食べていた。生地がパリパリ。テラスでシャワルマをほうばっていると、店員が楽しそうに話しかけてくれて優しい。

カフェで食べたアラブスイーツがとても美味しかった。クナーファ。外がカリカリしてて、中はチーズが入っててとても甘々な味がする。トルココーヒーを飲みつつ、クナーファを食べると、苦さと甘さがちょうどいい。

近くにハイパーマーケットがあったので、フラフラ見物しに行く。スーパーじゃなくて何がハイパーなのかはわからないけど、たしかに品揃えが良い。全然知らない国で果物や魚を眺めているだけですごく楽しくて不思議だ。イエメン産のザクロ、パキスタン産のマンデリンオレンジ、オマーン産のパパヤ、見てると楽しい。

スパイスコーナーがあって、一角にズラッとスパイスが並んでいる。圧倒される。

モスクを見る

グランドモスクを見に行く。

モスクなんてどこも同じようなものだろうと思ってたのだけど、モスクのメインホールにあるシャンデリアには驚いた。大きく質量感があるのに、すごく繊細な光を放ちながら宙に浮いている。なんだか高度な異星文明の宇宙船みたいだった。こんなに精巧さと質量感を同時に持った存在は見たことがない。スワロフスキー水晶で作られていて、高さは14メートル、重さは8トン、1122本の電球で構成されているらしい。

モスクの建物の外側はクリーム色で石で作られているのに優しい印象がある。床がツヤツヤしていて鏡みたいに光を反射している。人が少なくて静謐だった。

旅の終わり

オマーン・マスカットを巡っていた間、どこを行っても静かで、日常と喧騒に疲れていた僕にとっては癒やしだった。静かに動くような旅もいいな、と感じた。

今回オマーンはマスカットという海岸の都市を見ただけだけど、内陸には手がついていない自然が多いらしい。また、時が来たら、今度はゆっくり静かに自然を感じたいと思う。

エジプトに初詣に行く

1月1日、成田空港にいた。元旦の東京の街は不思議なほど静かだった。渋谷駅から成田エクスプレスに乗って空港に向かう。車両には外国人観光客しかいなかった。

東京から中東アブダビへ飛んで、アブダビから目的地エジプトに飛ぶ。

正月からエジプトの神殿を見に行く。それが今回の旅の目的だった。このために、実家への帰省を早めに済ませた。正月は一緒に過ごせない、と言うと祖母は食事中一言も話してくれなかった。僕のために用意してくれたお寿司を無言で口に運んだ。

1月1日のフライトを選んだのにはいくつか理由はある。1月がエジプト観光のベストシーズンなこと、年末年始シーズンの中では航空券が比較的安いこと*1、日本の正月の気だるい雰囲気が少し苦手なこと、などが理由だったけど、結局はエジプトに行きたい気持ちが抑えられなくてどうしようもなかった。

ゲート前で搭乗を待っていたとき、スマホから緊急地震速報の音が鳴った。周りの外国人達は誰も気にしていなかった。何かが起こったことさえも気づいていないようだった。

定刻通りアブダビに向けて飛行機は飛ぶ。

アスワン

カイロの空港でビザ代25ドルを払って意外にもあっけなく入国したあと、そのままエジプト国内線でアスワンに向かう。カイロがナイル川下流だとすると、アスワンは上流にある。

目指すアブシンベル神殿はさらにその南のスーダンの国境近くにある。

アスワンが神殿を見に行くための拠点の街になる。空港から市内にタクシーに向かう。青い空、乾燥した砂の上に送電線が並ぶ。

ホテルで少し昼寝したあと、周りの道をブラブラする。気候が良い。現地人がただ時間を過ごしているテラスで、自分もコーヒーを飲むことにする。暇そうなおじさん達が水タバコを吹かしている。

1杯のコーヒーの勘定がエジプトの物価とコーヒーのクオリティから考えると妙に高かったがこの時点ではあまり気にしなかった。

エジプトでの消耗

エジプトの暇なおじさんごっこをするのも飽きてきたので、近場の神殿、イシス神殿を見物しに行くことにする。

ホテルにタクシーを頼もうとすると25ドルと言われ、近場ではあり得ない高い価格だった。*2ネットで頼むと20ドルのツアーを100ドルだと言ってきたりもしたし、このホテルはなんかおかしい。

仕方なくホテルの外の道端に出ると、頭にターバンを巻いたおっさんが出現した。交渉して15ドルで連れて行ってもらう。おっさんの名前はハマダというらしい。日本では有名な名前なんだろ?と話してくる。ハマダさん自体は車を持っていなく、別のタクシー運転手を呼び寄せて乗せてくれた。なぜかハマダさんも助手席に乗って同行する。ハマダさんの役割が謎。

帰りにも約束通りハマダさんに乗せてもらったのだが、約束の15ドルとさらにチップを渡したのに、これだけか?とさらにせがんできた。消耗って漢字二文字が頭の中に浮かぶ。

右が頭にターバンを巻いたハマダさん

ここで話しておかなきゃいけないと思うのだけど、エジプトは良い言い方をすれば、人がとてつもなくフレンドリーだ。悪い言い方をすればウザい。特に、観光地にいる一部の人間が総じてとにかくウザい。

道を歩いていると怪しい野良ガイドがどれだけ無視しても話しかけてくるし、タクシーなどの価格交渉では法外な値段をふっかけてくる。

旅人の中では世界三大ウザい国の一つとして有名らしい。インド、エジプト、モロッコが三大ウザい国らしい。たしかに、インドでもすごく消耗した。

頼まれてもないのに人の国に勝手にお邪魔しているわけだから、多少価格が高かったり外国人向けの値段を言われても普段は文句を言わないようにしている。けど、エジプトのウザさは異次元だ。

メニューに値段が明記されているカフェでも勘定をごまかされる。コンビニ的な個人商店でも水のペットボトルを買うだけでも高い値段を言われる。タクシー運転手はお釣りをすぐにごまかす。

アスワンの街から空港に向かうときに、道端でタクシーを捕まえたときも消耗した。交渉して10ドルだって話だったのに、しばらく進んで市内から出たところで、行き先がスモールエアポートじゃなくて、ビッグエアポートだから20ドルだと言い始める。10ドルって言ったじゃんと何度も言うと、俺はグッドフレンドだから20ドル払えと言う。結局、20ドル払った。消耗が蓄積する。

エジプトにいる間、移動するたびに心が消耗することになったが、これ以上はあまり話さない。心のノイズキャンセリングをONにして、旅を感じることに集中する。

イシス神殿に船で行く

イシス神殿は島の上にある。車で行けるのは船着場までで、渡し船に乗って移動する。この渡し船が固定の運賃ではなくて、船の民と価格交渉して船に乗る仕組みになっている。世界遺産で、国が管理している門の中にあるのに世界観が非常に自由。

渡し船というかモーター付きボートで神殿のある島に滑るように近づく。勇気を振り絞って話しかけて、中国人の学生グループの船に相乗りさせてもらった。知らない人に話しかけて、1年分のコミュニケーションエネルギーを使い果たした気分になった。

中国の学生は「もっと色んな国に行きたいが、中国パスポートでビザなしで行ける国は少なくて困っている」という話をしていた。日本のパスポートでは何カ国行けるんだ? 日本のビザはどうやったら手に入るんだ? そんな話をしていた。

イシス神殿を見物して1時間ほどを過ごす。繊細な線の壁画がたくさんあった。島が川に浮かんでいて、神殿から青い空と青い川を見れるのが良い。

オールドスークを歩く

ホテルで猫に癒されたあと、オールドスーク(市場)を歩きに行った。観光地的な場所ではあるけど、ローカル感もちゃんとあって歩くのが楽しかった。

スパイスや果物が並んでいるのを見ているだけで心が踊る。アバヤを着た女性たちが買い物を楽しんでいる。ファラフェルを食べたりする。

市場ですれ違う子供たちは無邪気な笑顔でハロー!と挨拶をくれる。猫と子供はかわいい。

初詣に向かう

深夜3時に起床。夜明け前ですらない完全な闇の夜にホテルからバンに乗り込んだ。片道4時間ほどかけてアブシンベル神殿に向かう。*3

車の中から外の景色を見ると、砂漠が広がり送電線が並んでいる。砂漠といっても、限りなく退屈なタイプな砂漠だった。

工事予定地の空き地がただ広がっているようで、ずっと見ていたくなるような景色ではなかった。ナミビアで見た砂漠はずっと見ていたくなるような砂漠だった。頭を空にしてずっと見ていたくなる砂漠もあれば、何も感想が湧かない砂漠もある。

uiuret.hatenablog.com

バンは道の穴ぼこで揺れる。目が覚めては、眠気の中ぼんやり退屈な風景を見る。子供の頃、近所の神社に初詣に連れてってもらったときも深夜で、眠気で意識がおぼろげな中移動していたことを思い出す。

休憩エリアから見た夜明けは綺麗だった。金色の巨大な輪っかに地平線が包まれるようで、一日の希望を感じる。

アブシンベル神殿

ついに、来た。アブシンベル神殿に着いた。丘の坂道を下ったあと、すぐにあの石像が見えた。

第一印象は、意外と小さいな、という印象。空や土地の広さから見ると小さく見えてしまう。それでも石像の存在感は十分にある。左から二番目石像の頭が滑って地面にあるのがダイナミックで面白い。

外側よりも中に入ってからのほうが印象に残っている。中に入ると、暗い部屋の中に石像が立ち並んでいて、壁が壁画で埋め尽くされている。ほんとにこんな場所に入って大丈夫なのかな、とこわくなるくらい石像に不気味な存在感がある。

壁画の線が細く滑らかで流れるようで、ずっと見ていられる。絵や文字に親近感さえある。3000年前に描かれた絵だと思うと不思議な気持ちになる。

どこでお祈りすればいいのか、そもそもそういう趣旨を受け入れている神殿なのかもわからないけど、初詣なので、自分、祖母、大切な人々の魂の不滅をどことなく祈っておいた。あとは太陽神ラーがなんとかしてくれるはず。ちなみに太陽神ラーは頭の上に丸い太陽を乗せていて可愛い。神殿の外壁にも埋め込まれている。

遺跡自体も当然すごいのだけど、遺跡が沿っている湖が海かと思うくらい青くてスケールが大きい。自分が海に浮かんだ島にいるように思えてくる。巨大なダムを作ったことによってできた人工的なダム湖らしい。ラムセス2世よりも現代の人間の方に恐ろしいパワーを感じる。

ダムの建設で神殿は沈没するところだったが、人類パワーによって神殿ごと引き上げられた、という話もある。また、巨大な湖ができたことで、周辺の気候も変化したらしい。

ナイル川と夕暮れを見る

神殿から片道4時間かけてホテルに戻ったあとはゆっくりしていた。ホテルがナイル川沿いにあったので、夕方にホテルのカフェで夕暮れを見つつ水タバコでも吹くことにした。

赤紫のグラデーションが空にかかってだんだんと暗くなっていく。ぼんやり川を見ながら水タバコを吸っていると、何も考える気がなくなってくる。

日が暮れていくと、急激に冷えてくる。砂漠の夜は冷える。隣のテーブルの男女が寒さで自然と身体を寄せ合っていた。

カイロの街を歩く

翌日、飛行機でカイロに移動する。

宿に荷物を置いた後、エジプトの名物料理コシャリを食べる。悪くはない味だけど、見た目通りの味でパンチはあまりない。

コシャリ屋で、現地の若者と相席になった。アラビア語はわからないと言うと、Google 翻訳で話しかけてくれる。若者は留学生で、パレスチナ出身らしい。パレスチナに遊びにおいでよ!と言ってくれる。

エジプトの料理に関しては、事前情報から期待レベル0で来てまったく期待してなかったけど意外にもそれなりの味のものが食べれた。中東料理のレストランは色々と揃っているし、迷ったらケバブを食べておけばいいんだと思う。

コシャリ

フラフラ歩きつつ喉が渇いたときには、ジュースバーでオレンジジュースを買った。店にフルーツがたくさん吊ってあるのでわかりやすい。店の兄ちゃんがちょっとイカついときもあるけど、注文するとちゃんと美味しいフレッシュジュースを入れてくれる。

観光地でもなんでもない通りを Google マップと勘に従って歩いていると、衣類がたくさんある原宿のようなエリアに入ったり、電化製品がたくさんある秋葉原のようなエリアに入ったりして、とてもワクワクした。ランダムに歩き回るとこういう発見がたまにあるから楽しい。

観光地化されているスークを一応見に行ったあと、宿に戻る通りを歩いていた。テラスバーを途中で見つけて迷い込むように席に座る。

マンゴージュースを飲みつつ、水タバコを吸う。

お腹が空いてたので、チキンとピタパンも食べる。食べていると猫が足元に寄ってくる。骨付きチキンが美味しいので、猫にも少し分けてあげた。ウミャウミャと言うような雰囲気で猫も美味しそうに食べていた。

一人でマンゴージュースを吸っていると、隣のテーブルの3人組が話しかけてくる。こういうときちょっと警戒してしまうけど、シンプルに愉快で良いフレンドリーな若者だった。

シーシャのレモンミントの煙が心地よく鼻を抜ける良い夜だった。

ピラミッドを見る

Uber アプリでタクシーを呼んでギザのピラミッドを見に行く。カイロの街からそう遠く離れていなくて、タクシーで行ける。

初めてのピラミッドを車の窓から見たときは「なんかそこにあるな」という感想だった。街からの距離が近くて、ただそこにあるなという感じで存在感がゆったりしている。

ピラミッドを実際に目の前で見てみると、イメージと少しだけ違って不思議な気分になった。目の前に立つと壁のように感じられたり、人工物なんだけど自然の山のようにも感じられたりもする。意外と岩が揃っていなくてギザギザしている。遠くから見ると幾何学的な形をしているけど、解像度を上げて思い切りズームして近くで見ると線がまっすぐじゃなくて曲がっている印象がある。

機関銃のように話しかけてくるエジプト人の客引きを心でミュートしながら、ピラミッドを眺めてそんなことを考えていた。

ピラミッドの周りを歩いたあと、ラクダに乗った。ラクダが動くとラクダの重量感が伝わってくる。せっかくだから乗っておくくらいの気持ちだったけど、意外にも楽しかった。

スフィンクスは思ったよりも小さかった。視線の先にはピザハットがあって、見つめているように見える。ちょっと弱そうで、ピラミッドを守れるのかは心配になる。

夢の終わり

ピラミッドのある公園を去った後、満足感があった。

今思えば、16才の頃からずっと夢だった。ピラミッドやアブシンベル神殿を見ることは、気の遠くなるくらい退屈な地理や世界史の授業中に、教科書の中に見つけた夢だった。当時は学校と家以外どこにも行けなかった。いつかずっと見たかったものがやっと見れた。

これで16才の頃見たかったものは大体見ることができた。まだまだ見たいものはあるけど、ゆっくり良い旅をして、地球をじっくり味わい尽くそう。そう思った。

*1:成田 - カイロ アブダビ経由 エティハド航空で 往復約15万円

*2:地方都市のアスワンでは Uber タクシーが使えない。他のタクシーアプリだと使えるという話を聞いたが、携帯電話番号がなくて登録できなかった。

*3:朝4時に出発して、昼14時前に戻ってくるツアー。GetYourGuide というサイトで予約した。

2023年 弱さへの旅

昨年の振り返りとして、強さへの旅という話を書いた。

uiuret.hatenablog.com

今年を振り返るなら、強さを目指すというよりも自分の弱さに向き合った1年だった。

相変わらず仕事は刺激が多いし、旅行は楽しい。

ただ今年のどこかで、いつからか、仕事と旅行以外の日常の空白に虚無を感じるようになった。いつからか、これまでの将来への漠然とした不安は、すぐそこにある不安になった。

今となっては総じてポジティブな気分で、悩みも含めて、心の風景を旅するようなものだったと思っている。

自己療養というか少しでもマシな気分で1日1日を生きるためにいくつかのことをやってきた。

寂しさや辛いことは、乗り越えなければならない山ではなく、それも一つの心象風景だ - 宇多田ヒカル

セルフ1on1

セルフ 1on1 と自分では呼んでいるのだけど、毎週の自分の状態を記録している。毎週土曜に、今週はどうだったか自分なりに振り返るためにやっている。

体調・メンタルを10点満点でつける。よかったこと・課題を記録する。

たとえば、こういうフォーマットで書く:

2022/12
week 1
- 体調 8
  - 朝起きれない
- メンタル 8
  - 仕事のストレスを感じている
- よかった
  - エネルギーが回復気味
- 課題
  - 方向性がわからない

よかったことを書くのは、人は物事をネガティブに捉えがちなので、意識的にポジティブなことを思い出すことでバランスを取るようにするため。

あれば、課題に感じていることも書く。日々の些末なことに追われると、本来やりたいことができてない状態によくなる。本来やりたいことをやる上で、ブロックしているようなことを書く。

課題は書かないこともあるし、気分が乗る日はその他の関係ないアイデアも書いたりする。

しばらく続けていると、体調を崩すパターンやメンタルが弱るパターンに気づけることがある。たとえば、気温が低下するときに風邪を引きがちとか、仕事のストレスを感じすぎるとあとでパフォーマンスが落ちるとか、そんな単純なことなんだけど、パターンに気づくと対策をできる。対策できなかったとしても、いずれメンタルは上がってくるだろうと思って、気が楽になる。

日記

週1の振り返りだと、1日の中の心の細かい変化を捉えられないことに気づいて、7月頃から日記を書いている。

元々は旅先で感じたことを記録するために iPhone でメモアプリに書き始めたことがきっかけだった。 大抵、シャワーを浴びたあとか寝る前に書いている。日中に思いついた言葉をリアルタイムに書き留めることもある。習慣化するために、iPad とワイヤレスキーボードを用意して、日記用デバイスとして使っている。

日記といっても、文章とも言えない言葉を自由連想的に書き散らしているだけで、虚空に向かって言葉を吐いている感じに近い。

年末の今、日記を読み返していると、日記を書いていて良かったなと感じている。

生きていると、毎日がプレイリストみたいな繰り返しのように感じることがある。そんなときに何ヶ月分か過去の日記を眺めると、繰り返しの中にも変化があるんだなとわかることがある。

ある日の日記を取り出してみると、こういうことが書いてある。

2023/07/04
熱で3日寝込んでいた
意思の力というのがまったくなくなる
目標とかなんとかそういうのがどうでもよくなってしまう
ただ寝てたいし映画でも見てたい気持ちになる
流れてくる情報をただ受け止めるだけの機械になってしまう

熱があったときの気分を思い出すのはむずかしいけど、日記を書いておくとどういう気分だったのかわかる。あとで読み返すと、苦しいときほどの日記ほどネガティブすぎて面白く感じる。

別の日を見てみる。比較的ちゃんと出来事を書いていることもあったり、思いついた言葉や本で見つけた言葉を唐突に書いていたりする。

2023/11/10
丁寧な生活とその破壊

今日も会社に行っていた
会社の月一イベントがあった
回転寿司マシーンで遊ぶのは楽しい
その後たくさん話して、何か思うことがあるはずだけど、何も思えない
比較的、気持ち的には落ち着いた日々を過ごしている

昼にインフルエンザワクチンを打った
綺麗なサウナの待合室みたいな雰囲気の場所
細い注射を打ってもらった

映画は、状況設定、葛藤、解決、だ

その日言葉にできなかった小さなモヤモヤした感情を回収しようと心がけている。

心にモヤモヤしたものがあるとき、どんな形でもいいからテキストにすると落ち着くことがある。

知っている人にとっては当たり前のことなんだけど、僕にとっては新しい発見だった。心の落ち着きを得るために、文章を書くことが増えた。

今年、旅行についてのブログを書いていたのは、旅先での混沌とした記憶を整理して頭の中に落ち着きを作るのが一つの目的だった。書き終えると、バックパックを置いて身体が軽くなった気分になれる。

運動

ジムに通っていて、2022年に書いたことを継続している。ある時点で筋肉を持つこと自体には興味があまりないって気づいたけど、メンタルの安定のためにただ続けている。

今でもまったく仕組みは理解できないけど、筋トレはメンタルの安定には一定の効果がある。

朝、 世界の終わりみたいな気持ちでジムに向かって、一通り運動をしたあと、家に帰ってくると平常心になってることもあった。

瞑想のような効果もある。身体を動かしていると走馬灯みたいに過去の記憶が流れてくることがあるけど、そのときに突然良い仕事のアイデアを思いつくことがある。

旅行の期間でサボることもあるけれど、日常では大体2年くらいジムに週2-3で通っている。

読書

さしあたり惹かれるものがなかったら、本を読むのもいい。本は自分自身の対話だ。 - 岡本太郎

逃げ込むように本を読んで過ごすことが多かった。特にやりたいことがない空白の時間と旅行の膨大な移動の時間があった。

これまで理解できずに投げ出していた思想書を、腰を据えて読むことが多かった。難しいと思える本を読むと頭のCPU使用率が100%になって、余計な悩みごとについて考えられなくなるから良い。難しい本に取り組むことで、何度も重ね塗りするように少しずつ理解を深めていくような本の読み方がわかってきたのが収穫だった。

まとめ

自分の強さだけでなくて、弱さに向かい合わなければいけないときがあるのだと知った一年だった。

生きていると悩みや苦しみは避けられないけど、少なくともその一部にはいずれなにかの価値がつく。そう思って時間をやり過ごすことができるようにはなった。

2024年に続く。

エチオピアの街を歩く、エイリアンと覚醒植物

10月末、エチオピア アディスアベバの空港に到着した。はじめてのアフリカ大陸。

アディスアベバの国際空港は大きく、ほとんどがエチオピア航空の航空機だった。同一の航空会社が空港をほぼ専有しているからか、乗り換えなどの仕組みも効率的に運営されているようだった。

アライバルビザを80ドルで買って*1無事に入国できた。空港タクシーの客引きを無視して、タクシーアプリ*2でホテルまで移動する。

エイリアンになる

エチオピアの人口は約1億2000万人で、だいたい日本と同じくらい。その中で、アディスアベバは首都で約400万の人口がいる。

ホテルから出て気づいたのは、やたらと現地人に話しかけられることだった。歩いていると、若者に「チャイナ! アリババ!」と話しかけられる。最初は、ジャパニーズだよ、と言い返してきたが、途中であまりに数が多くて面倒になって適当に流すようになった。

道では黒人以外をほとんど見ない。僕だけ周りで肌の色が違うので、やたらと視線を感じる。ホテルの中でも白人やアジア人はかなり少数だった。

道を歩いていると、別の惑星から来たエイリアンのような気持ちになる。実際、遠い外国から来るとエイリアンだと言えるわけだけど、ここまで周りの雰囲気が違うととても意識してしまう。

今回の旅では、最後までエイリアンの気分で旅をすることになった。一度エイリアンだと思うと、何が起こっても何を言われても楽になる。

路上には若者の男が多く、やたらとフレンドリーだ。とにかくなんやかんや話しかけてくる。なぜかグータッチを求めてきたりする。たまにチャイナじゃなくて「ジャパン!」と声をかけられると嬉しくなってグータッチしてしまう。

メルカートの混沌

東アフリカ最大の市場と言われるメルカートを見に行く。

タクシーを降りた瞬間に、とんでもないところに来てしまったなと思った。「ここは人が多いから気をつけるんだぜ」とタクシーの運転手に言われた意味がわかった。人でごった返していて、縦横無尽に人間が行き来している。エチオピア人の海流の中に巻き込まれた気分。熱量が凄まじい。

服を腕に抱えて売る男、商品を頭の上に乗せて運ぶ人、荷台一杯にモノを乗せられたトラック、そして資材を運ぶロバ。

人口密度が高いからその分、現地人に絡まれる頻度も増えて、30秒に1回くらい チャイナ! と声をかけられる。チャイナチャイナ毎回言われるのはちょっとむかつくような気がしてたけど、まぁたとえば原宿でパンダが歩いてたら誰だって「パンダ!」って言うだろうし仕方ない気もしてきた。

どれだけでも店があって、あらゆるモノが売っているけど、観光客が特に買いたくなるようなものはなかった。

1人で歩いていたけど、観光客がフラフラ見に来る場所ではなさそうだとは思った。とにかく人が多いし、隙を見せれば財布を抜き取られそうな雰囲気はあった。怪しい店に連れて行こうとするフレンドリーなおっさんがRPGのモンスターのように無数に出現するし、ガン無視パワーが必要になる。

渋滞がひどくてまともにタクシーアプリが使えず、とてつもなくボロいタクシーを捕まえて帰る。

快適な気候

アフリカと聞くとなんとなく暑いイメージがあるけど、とても涼しくて快適。標高2000m にあって、気候が安定している。

年中快適な気候で気温が安定していて、日本で言えば夏の軽井沢みたいな気候なのかもしれない。Weatherspark で見てみても、年中快適と出てくる。天国なのかもしれない。

涼しくて、綺麗で広い歩道が多い。散歩をするのがとても楽しい。

路上ではほんとに色々なものが売っている。教会の近くでは、女性が野菜や服を売っていた。

路上には靴磨き屋さんが多い。小学生くらいの子供も靴磨きをやっていて、「ウォッシュウォッシュ?」と言って呼びかけてくる。現地の人達も靴磨きをよく利用するみたいで、おじさん達が靴を磨いてもらっている。

靴磨き屋の女性とおじさん

本屋も路上にある。歩道に平積みされている。若者が英語のビジネス書ベストセラーを売っていて「リッチ・ダッド!アトミック・ハビッツ!」と叫んで呼びかけてくる。本のタイトルを本屋に叫ばれるのは新鮮な気分。

マキアートに感動する

エチオピアに来たかったのは、本物のエチオピアのコーヒーを飲みたかったからだった。コーヒーが好きでよく飲むのだけど、エチオピアのコーヒー豆は特にフルーティーな味が特徴的でとても好き。エチオピアはコーヒーの発祥地でもある。

Tomoca Coffee という評判の良いカフェにホテルから歩いていく。内装が洗練された雰囲気で、オールスタンディング形式になっていて、店内は賑わっている。

看板メニューのマキアートを頼む。めちゃめちゃ美味しい。果汁のようなマイルドな酸味で絶妙なバランスがとれている。感動して毎日通った。自分用の土産にコーヒー豆も買った。

マキアート

Tomoca Coffee 以外のカフェも何軒か行ってみたが、まぁかなり普通な感じではあった。経済水準的にスペシャルティコーヒーを出すお店が発展する土壌がまだないのかもしれない。Tomoca Coffee だけが別格で、素晴らしい。

コーヒーセレモニーというエチオピア伝統スタイルのコーヒー屋があらゆる場所にあった。ストリートやショッピングモールの中、空港にもある。日本の茶道のコーヒー版のような感じらしく、神棚のような場所に祀るようにしてカップが並べられている。

ショッピングモールのなかで休憩としてコーヒーを飲む。神棚を見ながらコーヒーを飲んでいると、なんだか心が清められるような体験。

フルーツ天国

街にはフルーツジュースバーが多い。フルーツジュースだけじゃなくて、サラダを頼んでお昼ごはんを食べたりすることもできる。

エチオピアにはエチオピア正教の習慣で週2回肉を食べない。肉を食べない日があるから、野菜やフルーツを食べる食文化が発達している。

キオスク的なお店の前にバナナがワサワサ吊られている様子が見れたり、フルーツジュースバーの前に色彩豊かなフルーツが綺麗に並べられている様子が見れたりして、見てるだけで楽しい気持ちになる。

ある時歩き疲れて、フルーツジュースバーに入って、アボカドジュースを頼んで休憩した。ジュースバーのエチオピアギャル達がポーズを決めてくれる。

お昼ごはんを食べに入ったときは、隣の席のクールガイが「ここのスペシャルサラダはめちゃめちゃ美味いぜ」と教えてくれて、同じものを頼んだ。

フルーツサラダとライスを合わせて食べる。サラダにたくさん果物が入っててすごく贅沢な気分になる。アボカドジュースと一緒に食べてるとおなかが膨れて身動きが取れなくなったけど、美味しかった。

ジュースバーにハマって、疲れるたびにジュースを飲みに入っていた。迷ったら「スペシャル」と頼むといいらしい。美味しそうなストロベリースムージーが出てくる。

リモートワーク事情

1日仕事をしなければいけない日があって、ホテルで仕事をしていた。結論から言うと、この街はまったくリモートワークには向かない。

ネットが遅い。そして、停電がある。

そこそこの良いホテルでもネットが遅くて、ビデオ通話をするのはかなり厳しいだろうなと思った。カフェがあればいいけど、フリー Wi-Fi があるカフェが少ないようで、作業ができる感じの場所がなかった。エリアによるのかもしれない。

ときどき瞬間的に停電も起こる。そのたびに充電マークがピコピコ変わってちょっと気が散ってしまう。

気候が涼しくて、フルーツが美味しいので、Wi-Fi さえ速ければリモートワーク天国なのにな、と思う。

覚醒植物を買う

歩いていると、草の葉っぱをちぎりながらムシャムシャ食べている人達をときどき見る。傍から見ると野良猫が雑草を噛んでいるようにも見える。

噂に聞く覚醒植物カートだ。高野秀行の『謎の独立国家ソマリランド』を読んでいて、僕ははじめてカートのことを知ったのだけど、このように書かれている。

今カートはエチオピア国内で大流行し、社会問題になっているほどだが、輸出高の伸びもすごく、今や、エチオピアの代名詞であるコーヒーを凌ぐほどだという。

体の芯が熱くなり、意識がすっと上に持ち上がるような感じがする。ソマリ人はこの多幸感を「メルカン」と呼ぶ。

酒みたいだが、酒とちがうのはカートでは意識の明晰さが失われない点だ。車の運転手が眠気覚ましと集中力持続に使うことからもわかるだろう。そして記憶を失うこともない。

外務省の公式基礎データにも 「主要貿易品目(1)輸出 コーヒー、金、切り花、チャット」と書かれてて、チャットというのがカートで、カートはエチオピアの名産品だ。

事前にネットの情報を見ていると、あらゆる場所でカートで売られているようなイメージがあったけど、意外にも店が見つからなかったし、道の脇でひっそりと噛んでいる人が多かった。

3日間毎日歩き続けて、堂々と売っている店を1軒だけ見つけて、そこで買ってみた。1束200ブル(約540円)。少しぼったくられている可能性はある。黒いビニール袋でもらった。むき出しの状態で持ち運ぶのは実は良くないのかもしれない。

ホテルに帰って試してみる。ホテルの入口で、手荷物検査があって少し怪しまれた。

覚醒植物カート

葉っぱをちぎって片方の奥歯でムシャムシャ噛む。30分から1時間噛み続けないと、効果を感じないらしいので、ひたすら噛み続ける。味は、苦いハーブを噛んでる感じ。木の葉っぱをモグモグするキリンの気持ちになって噛み続ける。

口の中が噛み砕いた草で緑色になる。初日は結局はあまり効かなかった。じわじわと身体の芯から目覚めていく感覚はあったが、カフェインよりも効き目はずっと弱い。

エチオピア最終日、せっかくなので余ったカートを消費するため、朝5時に起きて葉っぱを噛み始める。集中して噛み続ける。ホテルで時間ギリギリまで草を噛んで、空港に向かう。

カートのその感覚がやってきたのは、空港のセキュリティチェックに進む赤いカーペットを歩いているときだった。背中の内側から熱くなるような高揚感を少しずつ感じる。強烈ってほどではないけど、酒でもコーヒーでもない普段とは違う感覚に楽しくなる。

表情がおかしかったのか、セキュリティチェックの若者に何かしら質問される。何言ってるのかわからなくてびっくりしてたら、”Do you speak English?” と聞かれる。”Yes, I speak English.” と答えて通してもらう。

エイリアン、次の街へ

アディスアベバから飛行機で、次の目的地 南アフリカ ケープタウンに向かう。

旅先で異世界に来たような感覚になったのは久しぶりだった。マキアートの味やフルーツサラダが忘れられない。また来ようと思う。

*1:大使館サイトなどのネットでの情報と違って、空港で1ヶ月と3ヶ月のアライバルビザが買える形で謎だった。トランジットビザはなかった

*2:Rideというアプリ。この国には Uber はないらしい。

ナミブ砂漠に「なにもない」を見にいく

時々、何もない景色を見たくなる。なぜなのかはわからない。人も建物もないただ広大な空間、それを無性に見に行きたくなる。

たしか土曜の午後、自宅の窓から向かいのマンションの建物を眺めていたとき、どこかできるだけ遠くに行きたくなった。

ナミブ砂漠のナミブは、現地民族の言葉で「何もない」という意味らしい。このエピソードにすごく心を惹かれた。ここに行けば、本当の「何もない」があり、本当の「何もない」を体験できるはずだと思った。それにずっと憧れていた砂漠のイメージが重なって、どうしてもその景色を見てみたくなった。

それから何日かかけて、旅行のリサーチをしたり、あれこれ相談したりして、アフリカ南部の国 ナミビアナミブ砂漠を最終目的地として旅をすることにしたのだった。

首都 ウィントフック

11月初頭、午前。アフリカ南部 ナミビアの首都 ウィントフックの空港に到着した。東京から韓国経由で飛行機に乗り、エチオピアでコーヒーを飲み、南アフリカで赤ワインと自然を楽しんだあと、ようやくナミビアに着いた。

ナミビアへの飛行機の窓からは、赤い地表に血管のような川が張り付いている風景が見える。

ナミビアは、アフリカ大陸の左下、一番下の南アフリカの左上にある。地図で見ても、こんなところになにがあるんだろう、と思ってしまうような場所にある。

ここまで飛行機に乗っている時間だけで、片道20時間以上のかなり長い距離の移動をした。ナミビアに到着しただけですでに感慨がある。

ウィントフックの街は、意外にも近代的な街だった。道路は広く綺麗で、歩道もよく整備されていて歩いていて楽しい。そこそこの大きな建物もある。ナミビア自体、元々はドイツの植民地だったらしい。

ドイツ風のペンションホテルで旅仲間の友人と集合した。ナミブ砂漠ツアーのピックアップを待つ間、ホテル隣のカフェで朝ごはんにスクランブルエッグを食べたりする。

それでも時間があったから、近くのショッピングモールまで歩いていってぶらつく。日本で言うと地方のイオンモール並に店舗は充実していて、ここなら普通に住めそう、と感じた。

歩く途中で見た、ジャカランダの紫の花が綺麗だった。

砂漠への旅

昼過ぎに、ツアーガイドはトヨタランドクルーザーでホテルに現れた。車の中でツアーの行程を英語で聞く。

今回は3日間のプライベートツアー*1で、ガイド、僕、友人、男3人で砂漠を巡る旅をすることになるようだった。

ツアーガイドの名前はベロンと言う。ベロンさんは身体が大きくて落ち着いた感じの雰囲気。色々なことを英語で丁寧に説明してくれる。少しだけ片言の日本語を話す。カワ、サバク、アリガトウゴザイマス。ときどき日本語の単語を交えて英語で話してくれる。

1日目は、ナミブ砂漠に向かってとにかく車で移動する。ナミブ砂漠へは公共交通機関がほぼないので、車で移動するしかない。約4時間、240km を爆走する。ナミブ砂漠のメインスポットの近くにある宿まで向かう。

ナミビアは日本の約2倍の面積がある。土地のスケールが大きい。ナミブ砂漠の面積だけでも日本よりも大きい。広大な国土に約250万人が暮らしている。

何もない景色の連続

街を出て、少し車を走らせると、途端に景色はとてつもなく広大になる。何もない景色の第一形態と言ってもいいと思う。木がポツポツと生えている草原が地平線まで広がっている。直線上の道路の周り以外に建物など人工物はほとんど見えない。

さらに走っていくと、樹木の数がもっと少なくなって、別の形態の何もない景色が出てくる。平坦な空き地が360度地平線まで際限なく広がっている感じがする。

信号もない真っ直ぐな道を、車は時速130kmで走り、何もない景色が流れていくのが見える。

砂利道の振動

アスファルトで舗装されているのは基幹道路だけで、砂漠に近づく道は途中から砂利道になる。それでも構うことなく常に車は時速100km以上で走る。

道路というか、荒野を横切って爆走している感じに近い。タイヤが石ころを蹴飛ばしながら進んで、車体は常にガタガタ震える。小刻みな振動がシート越しに身体に伝わってくる。

ここまで来ると車ですらあまり見なくなる。たまに対向車が通り過ぎることがあると、砂埃で道の前が見えなくなる。マッドマックス 怒りのデスロード感がすごい。

景色も、整備されていない駐車場が無限に広がっている感じになってくる。土がカラカラに乾燥している。街中でLTEで繋がってた携帯の電波も3Gになり、いつしか完全に電波を失った。

途中、木の上に大きな藁の塊がある場所で止まって、これは鳥の巣だと説明してくれる。鳥が何世代もかけて草を運んで、大きな巣を作るけど、最終的には木が重さに耐えきれなくなって巣ごと落ちて壊れてしまうらしい。

バード・ネスト

峠を越える

峠を越えて進む。峠の上からは広大な土地と緩やかなカーブを描いて伸びる道がみえる。

この峠から向こうが広義のナミブ砂漠らしい。

峠の坂を登り降りする道だけ、砂利道ではなく、舗装されている。たぶん運転をミスるとほんとにやばいので、舗装しているんだと思う。ここまでずっと時速100km以上で飛ばしてきた豪快ドライバーのベロンさんが、すごくゆっくり慎重に車を運転する。

景色が、サバンナのような乾いた黄色い草がわさわさ広がる草原に変わる。またさっきとは別の形態の何もない土地が現れる。ただ、何に使えるわけでもない無用な土地で、ほんとうに何もないことだけが変わらない。

すでに砂漠は始まっている。砂丘はないが、極度に乾燥した土地で山には木が一本も生えていない。

何もない土地にも色々あるのだな、と知った。

孤独という街

ソリテア (Solitaire) という砂漠近くの街で休憩する。フランス語で孤独という意味の街。砂漠の中の孤独の街、ということなのかもしれない。

街といっても、ロードサイドの道の駅をさらに小さくしたくらいの大きさしかない。ベーカリーがあり、名物はアップルパイらしい。アメリカ中西部の荒野っぽい雰囲気がなんとなくする。

少しずつ少しずつ、景色が本物の砂漠の姿に近づいてくる。木は少なくなり、石は細かくなる。

デザートロッジ

ソリテアの街を過ぎると、1日目の目的地である宿 ロッジに着いた。

小屋が連なったようなこじんまりとした宿だけど、意外にも綺麗で快適だった。一つの小屋が一部屋になっていて、窓からは砂漠と地平線が見える。デザートビューでとても嬉しい。

テラスから一歩出ればその先には平原しかないからどこまでも走っていける。朝には、鳥や野生動物が近くまでやってきたりする。

ロッジにはチルする用のプールもある。もちろん100%のデザートビュー付き。

夕焼けとディナー

テラスにテーブルが用意されて、地平線と夕暮れの中でディナーだった。雲一つないからか、コンピュータで描いたような赤いグラデーションが空を囲うように現れるのが見える。

ナミビアの食事には特に期待せずには来たけど、意外にもどれも美味しい。サラダや肉に赤ワイン、楽しい夕食だった。キャンドルの光だけを明かりにして食べる。

砂漠の中へ

2日目 朝5時。夜明けとともにロッジを出る。コンピュータのスクリーンセーバーみたいな白から青い闇へのグラデーションが見える。嘘みたいにすごい景色が多くて、現実感がない。

今日の目的地は、ナミブ砂漠ツアーのメインスポットで最終目的地になる。Sossusvlei という砂漠と海のちょうど中間部に位置する場所まで車で進む。ここからが本当の砂漠の中だ。

何もない景色にも慣れてきてしまったけど、土地にもっと何もなさが出てくる。道は直線で、周りには平面と山があるだけだ。

赤い砂の山

赤い砂の山が見えてきて、最初の砂丘に着く。本物の砂漠に来たという感覚が急にしてくる。

砂がムラのない赤かオレンジ色で、火星か別の惑星に来たような感覚になる。

手で触ってみるとサラサラで嬉しくなる。他には誰の痕跡もなくて、歩くと自分達の足跡だけが砂の上に残る。早朝で太陽が低い位置にあるから、影がとても長い。くっきりとした黒い影が砂の上にあって、もう一人自分がいるみたいに見える。影の自分は、やたらと足が長くてクネクネしてて宇宙人みたい。

砂の表面は、近づいて見ると揺れる波のような縞になっている。風が模様を作っている。

ベロンさんが地面の砂をホワイトボード代わりにして地図を描く。カワ、サバク、ウミ。日本語の単語を使って、砂漠の授業をしてくれる。

僕は砂に夢中になってて、何も聞いてなかった。谷から地下を川が流れるようになってるとか、海から風が吹いて涼しいとか、言ってた気もする。

砂丘を登る

道を進むと、砂丘がたくさん見えてくる。太陽の位置が低いから、ちょうど砂丘の片側が影になって黒くみえる。

Dune 45 それが砂丘の名前だった。大きな砂丘で、尾根になっている部分を登ることができる。

遠くからの見た目は形が単純で簡単に登れそうに見えるが、砂を登るのはむずかしい。油断すると、足が砂の中に吸い込まれてしまう。体力を消耗してしまう。

風が吹くと、砂の表面がきらきらと光る。砂丘がどこまでも連なっていて美しい。

砂丘を登ってはじめて気づいたけど、砂は液体だ。手で砂を押すと、波のように表面で砂が流れる。歩くたびに砂が波紋みたいに流れる。斜面で立ち止まると、足がスニーカーごと砂の中に浸かってしまう。近づいてみると、斜面にも風でつくられた細かい縞が見える。

山のサイズのサラサラの砂場で遊んでいる気分になれて楽しい。

砂丘ではない部分の土地は、黒くて異世界の空間みたい。

砂丘を降りるときは斜面を走ると気持ち良い。誰もいない傾斜を足が引きずり込まれないようにサッサと進んでいく。

余談だけど、昔この砂丘から歌手のMISIA紅白歌合戦に中継で出たらしい。「だから俺はMISIAが好きだ」とベロンさんは言う。

それなら、俺たちは今、日本人で最もMISIAに近い存在だ。その場でMISIAごっこをはじめた。 ”You're everything あなたが想うより強く” の歌詞のイメージしながら砂丘の上でポーズを決めて写真を撮った。ちなみに、宿に戻ったあと動画を見てみたらポーズは全然違った。

砂漠のマッサージ

砂漠の奥に向かうにつれて、完全な砂漠の道に入る。4WDの車が上下にぐわんぐわん揺れる。

「これが砂漠のマッサージだ」ベロンさんは嬉しそうに話す。
「でも大丈夫だ、ジャパニーズトヨタカーは最高だ」この男はトヨタランドクルーザーを神の次に信じているのだと思う。

デッドフレイ

デッドフレイ。死の沼もしくは死の谷、という意味。ナミブ砂漠を知ったとき、はじめに心を奪われて憧れた景色が目の前にある。

砂丘が川をブロックして完全に水を失ってから、約1000年前から木が死んだままの状態になっている。高い砂丘に囲まれて、死んだ木がポツポツと立っている以外には本当になにもない。粘土質の土が乾燥して沼だった部分が白い。

1000年前からこの空間だけ時間が止まっているようにも感じてしまう。限りなく死に近いイメージだった。ダリの溶けた時計の絵を思い出す。

限りなく死に近いこの空間で遺影を撮ってもらいたくなって、たくさん写真を撮ってもらった。

砂漠の終点

今日2回目の朝ごはんを食べるためにピクニックをした後、砂漠ツアーの終点である Sossuvlei に着く。

地下に流れる川があるのだが、ここがその川の最後になっている。ここから先は水すらない、本当に何もない砂漠なのだと思う。

サンセットドライブ

砂漠ドライブが終わって、ロッジに帰ってきた。

ランチを食べる。ナミビアメロンとチェダーチーズのフルーツサラダが美味しい。

夕方に、サンセットドライブに向かう。ロッジの私有地内にあるマーブルマウンテンという小さな山の間に行く。

黄色い乾いた草が生えた平原をゆっくり車で移動する。途中、野生動物の群れがいるのが見える。スプリングボックやオリックス、立派な角が生えた鹿のような動物たちが自由に走ったりしている。

地平線の先までなにもなく、平原が広がっている。地平線の向こう側すべてから風が集まって僕を通り過ぎていくみたいだった。とても心地よい風だった。

僕たち以外には誰一人いないし、人工物ですらなにもない。広大な平原の景色を独り占めしているみたいだった。

ウィントフックビールを片手に地平線に沈んでいく太陽を眺める。太陽と空の境界がゆらゆら揺れて、夏のアイスクリームが溶けていくみたいだった。マークロスコの赤い絵を思い出す。

地平線から赤紫のグラデーションが描かれるように現れて、柔らかく夕暮れ後の世界が訪れる。日が沈んだ後の紫色の世界を見ながら、車でロッジに戻る。

砂漠の星空

ロッジに戻り、ディナーを食べた。ベロンさんと「MISIAのあの曲の名前はなんだ?」「Everything だよ」というような会話をする。”優しい嘘ならいらない ほしいのはあなた” 地球の裏側まで来て、MISIAの歌詞を何度も思い出すなんて思ってもなかった。

部屋のテラスから外に出て見た星空はとてつもなかった。テラスから出た先から地平線まで周りに明かりもなにもない。空を見上げると、綺麗に丸くて黒い天球が見える。

砂漠の星空はこれまで見たことのある星空とはまったくちがった。天球に無数の大小の穴が開いたように空を光の点が覆い尽くしていた。空はどこまでも広く地球の半分が自分のものになったみたいだ。何分も暗闇の中にただ立って、空を眺めていた。

カメラで星空を撮ろうとしたけど、どうやったって写らなかった。どうやってもSNSにシェアできない景色もあるんだなと思った。君にも見せてあげたい。

イルミネーションみたいに無数に星が輝いていて、燃えているように明るい。星座を探したけど、星が多すぎてまったくわからない。南十字星をどうしても探したかったから、最終的には十字に見える気がする星をいくつか見つけて、俺の十字星ってことにして寝た。

砂漠から帰る

帰り道は行きとは別のルートではあるが、またも何もない広大な土地に囲まれた道をひたすらに進むことになる。

帰りは家畜をよく見たように思う。「ここで育つ牛たちは、広い土地で放し飼いされていてストレスがない。だから美味しいんだ」とベロンさんは言っていた。羊が道路に飛び出してきたときには "Sheep is always stupid..." とぼやいていた。

同じような砂利道を走っているがもはや慣れてきた。無際限に広がる何もない景色を楽しみながら車に乗っていた。

舗装された道に戻ったとき、車が滑るように進むので逆に驚いた。道路に戻り、LTEの電波が戻り、人の姿を見るようになり、人工物を見るように戻っていく。人間の世界に戻ってきた感覚がある。

13時前にはウィントフックの街に到着した。それからビールを飲んだり、キリンの肉を食べたりした。

旅の終わり

帰りはウィントフックから飛び、エチオピアと韓国で乗り換えて、東京に戻ってきた。

今回の砂漠への旅で、何もなさというのにも様々な形や色があるということを知った。単に「なにもない」があるのではなく、様々な「なにもない」があるのだった。北極に行ったときも何もない原野を見たが、それとはまったく色の違う何もないだった。

砂丘の赤く光る砂、デッドフレイの死の空間、地平線から平原を吹く風、そして特に砂漠の星空、が心に残っている。

なにもない砂漠なんかに行ってどうするんだ?と自分でも最初は思った。今回なにか意味があったとするなら、日常にない風景を手に入れて、記憶の中に置いておくことができることかもしれない。

砂丘の赤い砂に触れた記憶をときどき取り出してみては、頭のなかで再生する。自分の中にそういう風景があるのがとても嬉しい。

*1:ウィントフック出発のナミブ砂漠ツアーは事前にネットで手配して、宿泊代等すべて込みで1人約8万円だった

pastak 30周年 祝いの言葉

pastak という友人がいます。彼が30才の誕生日を迎えるにあたって、彼が生まれ育ち今も住む京都で、一般成人男性のお誕生会にしてはかなり大規模なパーティーが開かれることになりました。

サプライズパーティーという趣旨で、本人にも参加者にも会場や内容が知らされることのないイベントでした。*1

参加して、光栄にもスピーチをする機会を頂き、祝いの言葉を述べさせてもらいました。

以下は、当日のスピーチの原稿に加筆修正をしたものです。公開する都合上、伏せ字にしていたり、当日話さなかった内容を補足していますが、大筋はそのままです。


こんにちは、株式会社 ___ CTOの杉本です。

普段は uiu という名前でソーシャルメディアXなどを中心に活動しています。 今回は1人の友人というよりも、大学の先輩を代表して、祝いの言葉を述べさせて頂きたいと思います。

僕がパスタ君と初めて会ったのは、僕が高校生の時で京都大学オープンキャンパス*2に行ったときでした。

僕が高校2年生で、彼が高校1年生のときだったと思います。今から10年以上前、暑い8月でした。 パスタ君とは91世代というはてなグループのコミュニティ*3を通じて知り合いましたが、直接会ったのはオープンキャンパスの時が初めてでした。

当時15才か16才の僕たちは、その先10年の未来でどんなことが起こるのかまったく知りませんでした。

まさか、2人とも同じ大学*4に入学し、同じサークル*5に入り、ビールを飲み、留年し、ビールを飲み、同じバイト*6をし、ビールを飲み、ビールを飲み、最終的に2人とも大学を中退することになるとは思ってもみませんでした。

高校生の時、初めて会ったあの時と今を比べても、やっていることは驚くほど何も変わっていなくて、僕もパスタ君も相変わらずパソコンでプログラミングをしています。 変わったことと言えば、酒を飲むようになったことと、パスタ君の質量くらいです。

左 2019年, 右 2014年

僕がこのスピーチを引き受けてすごく困ったのは、パスタ君に関して印象的なエピソードが何一つとしてないことです。

思い出せないのではなくて、特別なエピソードは本当に何一つとしてない。

パスタ君に関しての思い出が、僕の記憶から抜け落ちているわけではなくて、DEN-EN*7に飲みに行ったこと、冬の鴨川ビール*8の後にDEN-ENに飲みに行ったこと、などの楽しい思い出は昨日のことのように思い出せます。

DEN-ENにて (左から pastak, 僕, hitode909)

ただ、本当に特にこれといったエピソードが思い当たりません。

15年近く友人として接していると、普通、伝説とか武勇伝みたいな素敵なエピソードがあってもおかしくないと思うのですが、何一つありません。

しかも、今回はその人物のただの誕生日のために30人以上の友人が集まっています。とても異様なことだと思います。 人となりとしても、温和な性格で良い人間だとは思いますが、伝説や武勇伝のようなエピソードはなく、カリスマ性のようなものは特にないと言わざるを得ません。

じゃあ、なぜそんなパスタ君の周りにこんなに人が集まるのか?

皆さんそれぞれの理由をぜひ考えてみてほしいのですが、僕からは何日か考えてひとつだけ思いついた理由があるので話したいと思います。

彼にはひとつ特殊能力があります。それは「変わらずになんかいつもそこにいる」という特殊能力です。

たとえば過去10年間を振り返ると、人は変わってしまったり、風のように過ぎ去って、気づいたらいなくなってしまう、といったことがありました。*9 京都の街もずいぶん変わってしまいました。

それなのに、パスタ君だけは驚くほど変わってません。 当然質量や見た目など物理的な性質に関しては大きく変わったと言わざるを得ないですが、話すことであるとか、振る舞いであるとか、やってることとかはなにも変わっていないように感じます。

そして、なんかいつもそこにいます。

大学時代、京都にいたときの飲み会でもパスタ君は当然のようにいつも飲み会にいましたし、僕が京都から東京に移ってきた後でも、飲みにいくと大体そこにいるような感触があります。 毎回別に大した話はしないのですが、なんかそこにいることは覚えてる。 コミュニティや人の集まりを大事にして、見守るような彼の姿勢が現れているのかもしれません。

特別な能力のようには思いませんが、彼以外に常にこの力を発揮できている人は意外にもいません。 僕個人の思いとしては、次の10年も「変わらずなんかそこにいる」人であってほしいと思っています。

最後に、僕が誕生日に言われて一番嬉しかった言葉を贈りたいと思います。パスタ君、生まれてきてくれてありがとう

そして、30才誕生日おめでとうございます。


*1:参加者は行き先不明のバスに乗り、着いた先は pastak が好きなサッカーチーム京都サンガのスタジアムのVIPラウンジだった

*2:京都大学オープンキャンパス 2009

*3:91世代は1991年前後生まれのデジタルネイティブな中高生が集まっていたインターネット上のコミュニティ。プログラミング等の話題を中心に繋がる場所だった。

*4:京都大学工学部情報学科

*5:京大マイコンクラブ (KMC)

*6:Hatena と Nota という会社でインターン・アルバイト

*7:DEN-ENはかつて京都に存在したビアホール。10名以上で突然行っても席が大抵空いていて、フライドポテトとタワービールが迎えてくれた。

*8:鴨川ビールは、京都鴨川の河原で不定期に開催されていた飲み会。知り合いと知り合いの知り合いが集まり、蒸し暑い夏でも吹雪で凍える冬でも開催されていた。

*9:このスピーチの準備をしているときに、カメラロールを10年分くらい遡って見ていた。あの頃一緒に川原で飲んでいた人達の一部は気づいたらいなくなっていた。家族ができた人、遠くに行ってしまった人、人間関係がおかしくなった人、精神病院にいる人、なんとなくいなくなった人。

世界中のレストランを簡単に予約できるようにする

「まだ同じ会社で働いているの?」と飲みに行くと友達に言われる。今の会社に入社してから6年目になった。5年以上も1つの場所で働き続けているのは、自分でも驚いている。

大学にも2年通えなくて、その後入った会社も2年続かなかった僕がなぜか1つの会社で今も働いている。

自由や裁量をもらえて居心地が良いとか色々な理由はあるけど、今やっているテーマが自分にとっては壮大で刺激的だというのが理由になっている。

先日リリースが出てちょうどいい機会なので、今やっていることについて書いてみる。これまでは意識的に仕事について書いてこなかった。

prtimes.jp

世界中のレストランを簡単に予約できるようにする」というテーマに1人の開発者として取り組んでいる。

ここは個人の日記だから、ビジネス的な視点・会社としての視点などを一旦放棄して、1人の作り手としての主観を元に書く。

ここまで何をやってきたか

AutoReserve というレストランの電話予約を音声AIが代わりにやってくれるサービスを作っている。

予約の電話をするのがとにかく苦手なので、個人的に課題に共感したことがきっかけでエンジニアとして関わり始めた。会社設立のタイミングで、1番目の社員として入社した。

これまでは日本全国のお店を簡単に予約する、という課題に取り組んできた。

何十万店舗とある日本全国のお店の予約を扱うのは技術的にもチャレンジングで、自動音声電話のコア開発からレストランを検索する体験まで幅広く取り組んできた。

今年は特に海外から日本に旅行でやってくる人達に使ってもらえるようになって、「日本語で電話をしないと行きたいお店の予約ができない」という言語の壁を埋めることができてきたのが嬉しい。

海外でレストランを予約する

僕は海外旅行が好きで、北極に行ったりタイでしばらく過ごしたりするのは、少ない人生のテーマの1つだったりする。毎回のように感じるのは、美味しいものを食べるまでの困難さだ。

そもそもとして何が美味しいのかがわからないから調べる。調べた美味しいものを食べれるお店を探す。よくまとまっている情報源がないから探すのに苦労する。国ごとに検索サイトが違うことが多い。

予約するお店の場合、何かしらの方法で予約をしないといけない。ネット予約できればいいけど、できないことも多く、電話で予約しなければいけない。時差を計算して国際電話かけて、もちろん英語か現地の言葉で話さなければならないから、言語の壁がある

じゃあ僕の場合どうしているのかというと、基本的には面倒すぎて諦めている。けど、本当は現地の美味しい食べ物を楽しみたいと思っている。ウズベキスタンのレストランで食べた、臭みのない羊肉と大きなパンの味を今でも昨日のことのように覚えている。

頑張れば予約する方法はあるけど、ホテル予約みたいに簡単な1つの方法というのがない。お店を探すから予約するまでとても簡単にできる方法を作っている。

予約するを極める

まず、お店に音声AIで電話して予約するのを極めるというのに取り組んでいる。電話を使うのは、これまでの実績から得意だというのもあるし、結局電話がスケーラブルで多用途な最強のインターフェースだと思っているからだ。

具体的には、英語・韓国語など多言語の音声AIを開発するのはもちろん、レストランサポートのための多言語対応コールセンターシステムを構築したり、無断キャンセルなどを防止するための決済・送金システムを作っていたりする。

すでに、アメリカ・韓国など10カ国のレストラン予約に対応している。言語文化の壁や国の規制など国を跨ぐだけで課題も多いけど、1つ1つ取り組んでいる。

世界のレストランを探す

知らない土地のレストランなんて基本的に知らないから、レストランを探す必要がある。

国ごとに強いグルメサイトはあっても、実は世界を横断してレストランを探せる検索エンジンなんてものはなかったりする。

そこで、作ろうとしているのは、世界中のレストランの検索エンジンだ。レストランデータを集約して1つの場所でスムーズに探せるようにしたいと思っている。

レストランデータをとってみても言語の壁が存在する。たとえば、アメリカや韓国のお店には日本語の店名は基本的にはない。日本語で読み上げられる名前がないと、日本語をメインに使うユーザーにとっては読みにくかったり検索しづらかったりする。

レストランデータを翻訳することでわかりやすく伝わるようにしている。技術的には、英語の店名を日本語の店名に変換するのに ChatGPT API を使うことで、違和感の少ない日本語名が作れるようになっている。

おわりに

ここまで話してきたように、僕は「世界中のレストランを簡単に予約できるようにする」に1人の開発者として熱量を持って取り組んでいる。

僕1人ではなく、エンジニア・デザイナー・マーケター含めたチームでやっている。皆、良い人なんだけど、良い意味で非常識で、仕事に関してはとにかく速く、一緒に働いていて飽きない。

ただ、ハローという会社にとっては超巨大ミッションの1つでしかない。たぶん、代表は「音声テクノロジーで世界征服をする」ようなことを考えているんだと思う。

地球丸ごと試験管 地位と名誉 rapper 全て捨てて裸 - 唾奇