一時帰国2: 世界で一番落ち着く場所

大体半年ぶりに日本に帰国していた。

メインの目的は友人の結婚式で、東京で会社の仲間と顔を合わせて、ついでに大阪の実家にも帰った。

久しぶりに東京で時間を過ごすと、なんというか街の活発度が高いなと感じる。

いつ行っても空いていてなんでも買えるコンビニがあって、夜も一人で気軽に立ち寄れる安いごはん屋さんがある。一人で夜行く場所があまりないロンドンとは裏返しの世界みたいに感じる。

日本に戻るとコンビニが楽しくて、鮭おにぎりとかファミチキとか飲むヨーグルトとか気づいたら買いすぎてしまう。コンビニが楽しいという感覚は、海外を体験しないと知ることができない感覚かもしれない。


日本に戻ったことを大学時代からの友人に伝えると、すぐに駆けつけてくれて一緒に夜ごはんを食べることになった。中華料理屋で餃子をつつきながら近況や人生の困難について話す。

大阪の実家にも寄った。祖母が今99才で、できるだけ顔を見ておきたいと思っていた。誰とでもそうだけど、寿命に限りのある人間と会えるのは残り限りある回数でしかない。生涯でのある人に関する記憶をフレームとして数えるなら、会うたびに最後の残り何フレームかの1フレームなんだよなと感じる。

祖母は、身体は少し弱ってるようには見えるけど、半年前と変わらずよく話していた。話があまり通じてなくて、祖母は僕が外国に住んでいることをなぜかわかってなかったみたいだった。

今回伝えると、やっと伝わったようで、寂しそうにしていた。「気つけるんやで」「また帰ってきいや」と実家を出発する何日も前から何度も何度も言ってくれた。

海外に住むようになってから、人々は優しくなった気がする。


大阪の街中にも寄ってみたのだけど、物価がとてつもなく安く感じる。

地元民向けの喫茶店のモーニングが380円で、コーヒーとサンドイッチを食べた。学生の頃は、どこで外食をしても高く感じたのを覚えている。

あの頃は、見ていた大阪の街は、ちょっと薄汚れていて大人がこわい街、というようなイメージが常にあった。

街は綺麗になっていた。外国人観光客も多くいるような明るくて楽しい街になっていた。

大阪でクラフトビールのお店にも寄ってみたのだけど、客の9割は外国人で、そのほとんどは白人だった。

ビールを飲んでいると、日本にいるのかどこの国にいるのかわからなくなってきた。頻繁に海外を旅しているときも朝起きたときに自分がどこにいるのかわからなくなることがあったけど、日本でこの感覚になるのは初めてかもしれない。

同じ街は同じ街のままあるとは限らないし、決まった方向もなく変わり続けるのだな、と思った。


ロンドンに戻る前日に、台風でフライトがキャンセルされた。結局、3日後の便に変更することになり、日本で伸びた時間を過ごすことになった。

これを言うとどうしようも感じにはなるのだけど、ロンドンの自宅に戻ってきて、自分の部屋にいるとすごく落ち着く気持ちになった。異国でボロくて設備も古い家のはずなのに、それでも世界のどの場所よりも自分の空間が好きであることがわかった。

ラトビア・エストニアに行く

特に理由らしい理由もなく始める旅は、散歩の延長線上にあるような気がする。

ラトビアにはそれまで興味を特に持ったことがなかった。行くまでは高校地理の授業的なキーワードを知っているだけだった。いわゆるバルト三国の一角で、北からカタカナ順のエストニア・ラトビア・リトアニア、三国の中では真ん中にある。地図の中では北欧世界とバルト海を共有していて、陸側の国境でロシア・ベラルーシと接している。

今回の旅はエストニアが目的地で、そのついでに最初にラトビアに寄ることにしたのだった。エストニアにも大した用事はないのだけど、会社の知り合いがエストニアにいるらしいのでちょっと見に行くことにした。

自分の気持ちからは結局なかなか行けない場所がある。そういう場所に誰かがいるとかチャンスがあれば多少無理してもできるだけ行くようにしている。

ラトビア・リガ

5月の土曜夕方に住んでいるロンドンを出て、LCC の RyanAir に乗ってラトビアの首都リガに向かう。

最初 RyanAir 乗ったときはサービスの質素さにびっくりしたけど、今では慣れて毎月のように利用している。LCC空港のオペレーションが効率的で、とにかく安い。今回のチケットは片道50ポンド程度(約1万円)だけど、もっと安い時もある。

リガの街に着いた頃には夜遅くなっていた。宿に向かって川沿いを歩いていると金色の月が見えた。人生で一番明るい月だと言ってもいいくらい丸くて明るくて大きかった。

0時を過ぎていてどの店も空いていないので、最寄りのファストフード店に入る。フィンランド発祥のファストフードチェーンでヘスバーガーと言う名前の店。

味わいとしては比較的優しい印象で、ソースの味がちゃんと甘くて美味しい。現地でもなかなか人気らしく、深夜だが若者がそれなりの数いる。1食7.8ユーロ(約1400円)でヨーロッパにしては若干お手頃な感じがある。宿も1泊9000円くらいで安めだった。

ヘスバーガー

5月ではあるけど、ダウンがほしくなるくらいには寒い。夜の街をぶらついてから、軽くバーでビールを飲んでから宿に帰る。


2日目は街歩きをする。旧市街は綺麗で、観光地にしては人も多くはなくて、とても歩いていて気分が良い。

ほとんど事前知識なしでラトビアに来たのだけど、まぁ何も困ることはなかった。英語は通じるし、なんでもオンラインに書いてあるし、ユーロ圏でキャッシュレスが進んでいるから、ウェブサーフィンするのと同じくらい楽に旅ができる。

街の一部の雰囲気がベルギーのブルージュに似ているなと思って、調べてみると歴史的には両方ともハンザ同盟の都市だからそれはそうだった。バルト海貿易をしていた同盟都市同士で、当時の建築思想が共有されている。

LIDOというカフェテリア系チェーン店でお昼ごはんを食べる。大学の食堂と同じ形式で、なんとなく懐かしさを感じる。好きなラトビア伝統料理をとって食べることができる。マッシュポテトが甘々滑らかで美味しい。


ロシアとの戦争の事情で、至る所にウクライナ旗、ラトビア旗、EU旗が立っている。他人事ではない緊張感が伝わってくる。特にリガはロシア系住民が40%近くの人口を占めていて、人々もロシア語を話し、文化的にも近いという事情があるらしい。


特にやることもなくなったので、バーに行き一人でビールを飲む。ラトビア人の20代前半の女性のグループが隣に座っていたのだけど、全員タバコを吸いながらビールを飲んでいる。この辺りの旧ソ連の影響下にあった地域は歴史的な経緯で、女性の喫煙率が高いらしい。

ラトビアのことはこれまであまり知らなかったけど、実際来て歩いてみるとすぐに好きになった。何も考えずに来てみると、意外と来て良かったなと思う街は多い。自分の想像力が不足しているだけで、世界にはもっと知らない魅力があるのだろうなと思う。

リガでは街をただ歩いて一日時間を過ごしただけだったけど、とても充実した気分になれた。、公園でゆっくりしたり、カフェでコーヒーを飲んだりする時間が楽しかった。また来たい。

エストニア・タリン

リガからバスに乗ってタリンに移動する。移動時間は4時間半だったけど、道がほぼ一本で快適だった。リガから郊外に出てからの途中の景色は、森と湖くらいしか見えなかった。

エストニア・タリンに着く。リガと比べると、標識や看板など街の全体から北欧デザインみを感じる。エストニアは、文化的にはフィンランドなど北欧に近いらしい。丸くて優しい空気感を感じる。

旧市街に行く。ぽってりとしたお城の雰囲気がかわいい。広場があるのは他の街とあまり変わらないけど、建物の色遣いがポップでかわいい感じがする。

エストニアは電子国家としてITが進んでいることで有名で、前から気になってはいた。昔お世話になっていたSkypeは本社がエストニアだったし、ヨーロッパでよく使うタクシーアプリのBoltもエストニア。人口140万人ほどしかいない小さい国から世界で戦っていてすごい。


ロンドンや他の大きな都市と比べると、街にあまり人がいないのを感じる。それと、おばあさんが1人で歩いてるのをよく見る。この国では、男は8年か9年早く死ぬ。ラトビアや近隣国でもそうだけど、寂しさを感じる。

ロシア大使館を見に行く。めちゃめちゃにされている。ロシアと国境を接していて、東に行くとすぐにロシアに着くこともあり、緊張感が強い。

映画TENETのロケ地になったと言われる旧ソ連時代のオペラホールを見に行く。完全に廃墟でグラフィティだらけになっていて、映画で見た原型はとどめていない。街の中心部は、北欧の洗練されたデザインでモダンな印象がある一方で、ちょっと人気のない場所に行くとグラフィティだらけになるところに旧ソ連みを感じる。

旅の終わり

ラトビアもエストニアもどちらも素敵な国で居心地が良かった。

ただ、街で過ごしているだけでも、どこか暗い影のようなものは感じた。ヨーロッパの中でも人口減が進んでいる地域で、社会福祉制度は充実しているが出生率がかなり低い。国としても人口100万から200万人程度で小さい。言語や文化が失われることに対して危機感があるのを感じた。

ラトビアやエストニアに限った問題ではなくて、人口減は日本を含めて世界のどこでも起こっていることで、どの国も言葉も文化もやがては失われいく道にあるのかもしれない。だからといって、僕がどうするという話でもないんだけど、しんみりとした気分にはなる。

ブログを書いて良かったと思うことが増えた

この一ヶ月くらいブログをあまり書けていなかった。今年は毎週何かしらを書くのを目標にはしていたのだけど、全然何もできていなかった。

旅行に出かけたり、戻ってきたら風邪を引いてしまって何もやる気が起きなかったり、気づいたら時間が過ぎてしまっていた。

自宅のベッドに寝転がって SNS や YouTube をスマホでペタペタスクロールしてるだけの自分がいるのに気づくと、自分のことが嫌になってくる。自分のことが嫌になっているのに、それでもやる気が起きずに何もできない自分が余計に嫌になる。BADに入ってしまうと沼で、なかなか抜け出せない。

栄養あるものを食べて、可能なら運動をして、頭にある黒い雲がどこかにいくのを待つことに集中するようにはしている。


先週はなんとか力を振り絞って、日記を何かしら書くことができた。

普通の日記を書いても人に読まれることはほとんどないのだけど、それでもブログを書いて良かったなと思った。静かな満足感が翌朝やってきてしばらく続いた。

思っていることを場所はどこでもいいから掃き出すと心が落ち着く。仕組みはわからないけど、温かいお茶を飲むみたいになぜかそういう風な作用がある。

心理学者河合隼雄の本で、砂の入った箱の中に何かを表現して遊ぶ時間をとるだけで自ずと心の問題がなおっていく話があったけど、それに近いかもしれない。

結局のところ、自己嫌悪になってしまうのは消費してばかりで何も生産的なことをしていないからで、自分から何かしていれば自己嫌悪になることなんてない。BADにならないためには、何かをし続けて動き続けるしかない。

思うんだけど、生きるってのは与えられた時間を何かに交換していくことでしかない。

質が低いと感じている時間があるなら、少しずつより質の高い時間に取り替えていくのが良い。

TikTok を見るよりは日記を書くほうが質が高いと思うなら、同じ時間で日記を書くほうがいい。「日記を書いたとして何のためになるんだ?」と思うかもしれない。こういう時、完璧主義的な自分が邪魔をしてくるけど、いきなり完璧なすごく良い活動が現れて簡単に切り替えられることはない。完璧を求めて何もできないよりは、時間の質をちょっとずつ良くするために動いたほうがいい。

モロッコの山道でバスに乗っているときに「もし仕事を引退したら何しよう?」とぼんやり考えていたんだけど、結局何時間もかけて、旅したり日記書いたりたまにブログに投稿したりすることしか思いつかなかった。働くとしても働かないとしても、生きる限りは動き続けて何かを書き続けるしかない。

モロッコ・シェフシャウエン村、壁の外側

アウシュビッツに行く

ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に行ってきた。

アウシュビッツにはずっと興味があった。高校生の頃からライフイズビューティフルなどの映画をよく観ていた。人間の歴史の中でも大きな出来事ではあり、実際に足を運んで場所を見てみたかった。

ロンドンで仕事を早退してから空港に向かい、British Airways に乗ってポーランドのクラクフに移動する。

クラクフは、日本でいうと京都みたいな街で、歴史ある古都で城壁に囲まれた街が残っている。国土の多くが戦争で破壊されたポーランドの中では、特に観光都市として魅力がある都市。


クラクフで一晩眠って、2日目にアウシュビッツ収容所の見学に向かう。

泊まってたAirbnbの近所に市場があって、チーズの塊が切り売りされているのを見たり、ソーセージが吊り下げられているのを物色したりする。

市場横のカフェで、コーヒーとクロワッサンを買って朝ごはんにする。4月半ばではあるけど、コートがいるくらいには寒くて、買ったコーヒーが気づいたら冷たくなっていた。

看板に KAWA と書いていてなんて意味だろうなと気になって、あとで調べてみたらコーヒーという意味だった。

クラクフ中央駅のバスターミナルに向かいバスに乗る。予約していなかったのでちょっと不安だったけど、バスに乗る際に運転手から券をその場で買えた。

バスは満席に近かったので予約をしたほうが良かったのかもしれない。安全な計画をするというのができないので、毎回こういうとき一人でちょっと不安になっている。大体なんとかなるけど、たまにダメで途方に暮れるときもある。

バスから見た風景は地方都市の郊外といった感じで、ロードサイドの雰囲気は驚くほど日本のに似ている。機能的で商業的ではあるが、面白さはない。ポーランドの地方まで来ると、観光地でもほとんど白人しかいなくて日本人や東アジア人をほぼ見なくなる。たまに見ると、久しぶりに同族に出会ったような気分になる。


バスに乗って1時間半。アウシュビッツ・ビルケナウ博物館に着く。

基本的にはツアーで、ガイドが同行した上で回ることになる。*1これが見れないと旅行に来た意味がなくなるので、ツアーだけは予約をとっていた。公式サイトからオンラインで英語のツアーを予約した。他はポーランド語やドイツ語などのガイドしかなくて消去法で英語を選ぶ。

観光地ではあるので博物館の入り口にある施設は綺麗で、カフェテリアもついている。

ガイドに連れられて収容所の敷地に向かう。入り口の門に「働けば自由になる」と書かれている。この言葉は現代の労働者の僕たちにも響く何かがある。

第一印象としては、整理された工場のような印象。整えられた土地に煉瓦造りの建物が等間隔的に並んでいる。綺麗に保存・メンテナンスされていて、強制収容所だと知らなければ住めるなと思ってしまうくらい。あまりに整然としていて、この空間で大量に人が死んでいたと思うと不気味に感じる。土地は人が死んだことなんて気にも留めてないみたいに見えた。

敷地は有刺鉄線が張り巡らされた柵と壁に囲まれていて、何かの映画で見たままの光景だなと思いながら歩く。

収容所のそれぞれの建物の中で、元々犠牲者から奪われた靴などの物が展示されていたり、歴史や収容所についての解説のパネルなどがある。ツアーの時間は3時間くらいと長く、敷地内はずっと歩くのでそれなりに体力を使う。

収容所は極めて機能的にオペレーショナルに運営されていたことが驚きではあった。1万人以上を収容していたことを思うと当然な部分もあるかもしれない。

カンボジアでポルポト時代のトゥールスレン収容所とキリングフィールドに行ったことがあるが、そこでは野生的な暴力が使われていてもっと粗暴な印象だった、アウシュビッツは冷たくて機械的な印象がある。人が消費されて殺されるための冷たい工場を見ているような気持ちになる。

ガス室もあって中に入った。当時ここに入った人は二度と外には出れなかったんだよなと思いながら見学する。

ビルケナウ第二収容所に移動する。

こちらの敷地は建物は破壊されていて、巨大な敷地の中に鉄道があるのと廃墟がいくつか残っただけになっている。周りには何もなくて、柵で囲われた広い原っぱのようになっている。風が吹くと体が冷える。


一通り見学してきたけれど、全体的には映画や本で見た通り学んだ通りの印象だった。帰ってから Wikipedia の記事を読み直してみたが、ほぼ見たのと同じ内容が書いてあった。

何か新しく感じたとすると、工業・システム・合理性といったものが向きを変えると殺戮と地続きになっている面があるというイメージかもしれない。実際に自分の足で場所を訪れてみないと得られないイメージはある。

*1:個人でも回ることは可能だけど、時間帯が夕方以降に限られている

マンチェスターに日帰りでいく

先週日曜にロンドンからマンチェスターに日帰りで旅行に行ってきた。

ロンドンで過ごす土日もちょっとずつ飽きてきて、たまには違う刺激を入れようと思って別の都市に行くことにする。マンチェスターは、イギリスの島のちょうどお腹あたりにある。電車で片道2時間ちょっとで、気持ちとしては東京から名古屋に行く感じの距離感。

マンチェスターに行こうと思った理由は2つ。

一つは産業革命に興味があったこと。マンチェスターは産業革命の中心的な都市で、世界初人類史上初の工業都市だった歴史がある。

もう一つは音楽が好きで文化に興味があったこと。Oasis と The Smiths というロックバンドが好きなんだけど、どっちもマンチェスター出身。

詳しくは Oasis supersonic というドキュメンタリーを見てほしい。ここには本当の兄弟愛が描かれている。 The Smiths 関西弁 bot という素晴らしいXアカウントもあるのでぜひ見てほしい。

ロンドンの駅から鉄道に乗って数十分もすると一気に田舎になる。電車の窓からは、緑の広くてなだらかな土地と羊が画面の上のピクセルみたいにポツポツと見える。


マンチェスターに着いてみての感想は、普通に都会で、イギリスらしい歴史を感じる煉瓦造りの建物が多く道も綺麗。

Oasisのギャラガー兄弟とサッカーのイメージでしかマンチェスターを知らなくて、「道で気を抜くと殴られる」ようなイメージだったから意外。先入観あっても一旦無視して来てみるというのは大事だな、と思う。

家賃がロンドンの半額くらいらしくて、これだけ街が綺麗なら住んでもいいなという気持ちになる。物価も比較的安い。逆にいうと、ロンドンが異常という話ではある。


科学産業博物館に行く。産業革命期の綿から綿織物を作るまでのプロセスと機械が丁寧に説明してある。倉庫のような空間に、各時代の紡績機械がズラッと並べてあり興奮する。こういう技術のパワーとスケールを感じさせるような機械を見るととても嬉しい気持ちになってしまう。

綿を糸にしてそれを編んで綿生地を作って最終的に服が作られる一連のプロセスが、徐々に機械に置き換わっていき、人々の生活がいかに大変なものになったかが説明されている。

博物館の説明のやり方は、ちょっと皮肉な感じで自己批判的な内容になっている。「産業革命で経済が加速して国は繁栄したけども、職人は失業したし、人々は工場で歯車として長時間労働しなきゃいけなくなったし、安価な綿を作るために黒人に奴隷労働をさせることにもなった。申し訳ないよね」という感じのテイスト。世界初の自動化に成功したのは誇らしいんだろうなと思ってたからちょっと不思議な気分にはなった。

世界最初の工業地区があったあたりにも歩いて行ってみた。アパートとレストランに改装されていて、おしゃれゾーンになっている。

個人的には中退した大学のキャンパスと建物の雰囲気がそっくりで、心がなんだかザワザワして落ち着かなかった。大学の建物の元ネタはイギリスにあったんだな、と今更気づく。


街を一通り歩いて、夕方にパブでビールを飲んで、そのまま電車に乗って帰った。充実感のある良い一日だった。

冬を越えられたような気がする

ロンドンからマンチェスターに向かう電車の中で書いている。

昨年10月にロンドンに引っ越してきて、12月から2月にかけて冬を過ごしてきた。イギリスで初めて過ごす冬で、厳しい季節だった。朝のビデオ会議のために、夜明け前に闇の中起床するような生活だった。電気毛布がないと寒くて眠れなかったし、シャワーのお湯が一週間近く出なくなったり、水道管の凍結破裂で停電になったこともあった。そういう寒い日は不安で心細くもなった。

イギリスに引っ越してきた当初の最大の不安は、冬を越せるのかどうかだった。僕にとって冬は終わりの季節だとも言っていい。日本でも冬は不安で落ち込みやすく鬱っぽくなり精神がダメになる。さらに日照時間が短くて寒さが厳しいイギリスで冬を乗り越えられるのか?が一番の心配だった。冬を過ごすことに難しいも何もないでしょと思うかもしれないけど、弱い僕にとっては一つ一つの季節は気が遠くなるほど長く、そして厳しい。

タイなどの暖かい国に渡り鳥のように避難する方法もあったが、怖いことから逃げては何も成長は得られないし、なんでも一度は体験してみるものである。そう思って、今年はイギリスの冬に向かい合うことに決めた。

結果としては、なんとか冬を越えられた気がしている。まだ若干の冬は残ってる感じもするものの、今週は暖かく晴れて明るい日が多くて、春の訪れを感じた。

ジムまでの道を歩いていると、庭先に花が咲き始めているのをよく見るようになった。桜のような色の花や柔らかい黄色の花があって、普段の街の色が豊かになってきた。この前まで毎日曇りで建物も白くて街がグレイスケールだったのが、一気にカラー放送が始まったような感じがする。花の名前を僕は知らないけど、ただただ綺麗に感じる。

乗り越えられた要因としてはいくつか考えられる。

ひとつ目、寒さは厳しいもののそこまでの厳しさではない。容赦無く防寒して身体を温めればなんとかなった。全身をヒートテックで包み込み、電気代をケチることなくヒーターを炊き、電気毛布を被る。

もうひとつ、身体を整える。精神の不調の半分はハードウェアである身体を整えることで防ぐことができる。まずは運動。週に2回は何があってもジムに行くようにした。特に男性の仕組みは単純で、筋肉を動かせば脳にポジティブな脳内物質が流れて精神が良くなるようにできている。あとは、ビタミンDのサプリメントを毎日飲むようにもしていた。日照時間が短すぎるので、イギリスの健康省的なとこもサプリを推奨している。

最後の要因としては、選んだ部屋が良かった。最上階にある屋根裏部屋で、天窓になってて曇りの日でもそれなりに明るい。家の中で一日中仕事をしていても、自然とある程度光を浴びれる環境にあった。これはとても助かった。

地球温暖化で今年は特別暖かくなるのが早いという説も聞くが、とりあえずは冬を越えられたことを祝福させてほしい。

冬を経験しての感想としては、まぁ特にそれといって良い学びはなかった。寒い季節はないに越したことはない。メンタルを管理するために、かなり注意深く生活しないといけないし、睡眠時間も長くなりがちになる。寒いよりは暖かいほうがいい、というのが宇宙の普遍的な真理だと気づいた。なので、来年はせめて1月くらいはどこか暖かい国で過ごしたい。

とはいえ、イギリスの冬の樹の状態を見るのも好きではある。

粗野で荒々しい具体性

先週書いた記事が思いのほかバズった。土曜午後に2-3時間で寝不足気味の中書き殴ったにしては意外な結果だった。

正直なところ、タイトルを思いついた時点である程度読んでもらえるとは思っていた。ただ、これほどだとは思ってなかった。僕のこのブログの中では10万PV・はてブ数1400以上で過去一番だったし、周りの友達皆からも内輪の Slack チャットでコメントをもらって、思いも寄らない大きな反響だった。

書いた記事を日本時間に合わせて予約投稿したあと、すごくよく眠れた。頭がすっきりした状態になった。AIで色々やりすぎて頭がおかしくなりそうになったりうまく眠れない日はまだあるんだけど、以前よりも対処には慣れた。落ち着きはないけど、少しずつコントロールのやり方を覚えてきている。

この一週間で「なぜこんなに広まったんだろう?」とぼんやり考えていた。

今回に関しては「タイトルがタイミングにたまたま刺さった」がまずほぼすべての要因だと思う。時流でしかないし、再現性はあまりない。時流があって、当事者として中にいてタイトルさえ思いつけば刺さる記事は書ける。これまで他の記事を書いた経験からもそう思う。

もう一つ自分の中でうまくやれたと思うのは、敢えて無茶苦茶に書きたいことを書けたこと。この点に関しては自分でも満足していて、よく眠れたのはこれが理由だと思う。

直近、Xに上がるAIに書かせたような記事を見ていて毎日むかついていた。AIに書かせていることではなく、文章があまりに整然としていて無菌室みたいで、読むたびにイヤになっていた。味の薄いスープみたいで具体性が薄まっていてパンチがない。

ツールの助けを借りて整理された文章を書くこと自体は悪いことではない。単に個人的な好みじゃなくてむかついてただけだ。味のない料理を出して、それを客が喜んで食べるような店があってもいい。僕個人としては味がないのは、少なくとも心の中で許すことはできない。

記事の文章を書いている間は、日頃のイラつきをぶつけるようなイメージで、部分部分でできるだけ粗野で荒々しく具体性を打ち込むようにして書いた。具体性の部分で言うとまだもっとやれるとは思っているけど、自分の中では叩き切った感覚がある。

整理された綺麗な文章を目指すのではなくて、思ったことを思ったように自分の息遣いとリズムでむしろ荒々しく書いてほしいと思う。昔、祖母が戦後に生まれて初めてコカコーラを飲んだ時の感動を、他の誰のでもない自身の言葉で語ってくれたのが印象に残っている。僕もそれと同じような何かを目指して日記を書いている。

整理された綺麗な文章には価値はなくなって、粗野で荒々しい具体性を帯びた言葉の価値が高まる時代が来ると感じている。