中身のない話とお好み焼きについて

 クラスのコンパ委員が企画した学科1回生・2回生交流コンパみたいなのに行ってきた。たまにしか大学に行かないのに行っていいのか正直迷ったけど、知らない人間が騒いでるのを見物するのは楽しいしせっかくだから参加することにした。疎外感強くて死ぬ感じのアレかと思ったけど、そこまでじゃなくてむしろ普段の大学の授業とかのほうが疎外感は強いほうだった。

 なんとなく分かってたけど、大学に行かないキャラというポジションが定着してしまっていて、1回生と共通の面白い話題もあんまりないし大学行ってないトークばかりしていた。サークルの新歓で何度も話してしまっているからパターン化してしまっていて話していて空虚な感じがする。大学に行ってない人間なら誰でもできる話だし、誰でも簡単に笑いが取れる話だからだ。聴いてる人間もうんざりすることも多いと思う。話し手に根ざさない話って実質的に中身がないし、話し手の経験に根ざしている話に比べて格段に価値も下がる。中身のない話をするのはできるだけ避けなければいけないし、聴く側も中身のない話だと気づいてその話がクソだと思わなければいけない。

 じゃあ中身のある話をするにはどうすればいいのかという話があるけど、それは普段から自分で話の具材みたいなものを意識的に仕入れていかなきゃならないんだと思う。といっても中身のある話をできたと実感する場面に出合わせたことがないから分からん。この話も中身はない。

 聴いていて面白い話もあって良かった。バイセクシャルの性欲強い系男子がアグレッシブにほぼ無作為と言ってもいいくらいに誘いのメッセージを投げまくってるなどのやばい人間の話があった。有り余るエネルギーを世界に向けて放出せずにはいられないんだなぁと思った。ヤバい人間の話はいつ聴いても面白い。

 お好み焼きの味はあまり覚えてない。