4年前に京都大学を中退した。理由についてはここには書かないけど、ここまでを思い返してみると意外な変化がいくつかあった。
入学して2年目からは大学にほぼ通わなくなり、2年間留年し、4年間休学したのちに退学した。休学中には働いていたので、実質的には8年前に辞めたことになる。*1最終学歴は高卒ということになる。
現状は、幸いなことに仕事には困っていない。直感で選んだスキルと業界が良かったのがラッキーで、ソフトウェアエンジニアとしてベンチャーの第一線で不満なく働けている。
一つ注意しておくと、この文章は大学を中退することを薦めるものではない。またその逆に、卒業することを薦めるものでもない。
良かったこと
家族が優しくなった
これが最も意外で大きな変化だった。親や家族が優しくなった。学生の時よりもそのままの自分を受け入れてくれているように感じている。
大学を辞めるまでは、家族が僕に持つ期待は高かったように思う。
大学に進学し、当然のように卒業し、周りと同じように大学院に進学し、修士を卒業した後は、それなりに名前の通った大企業に就職する。家族はそういう期待を持っていた。
僕も気にはしないようにしていたが、プレッシャーを感じていた。僕が休学することを話したときも、親はかなり落胆した表情をしていた。
僕が早い段階で大学に行かなくなることで、家族の期待を破壊してからは、僕に過度な期待はしてこなくなった。僕のことを人間として気にかけてくれることが増えたように感じる。
過度な期待がなくなると、コントロールしようとしてこなくなった。コントロールがなくなったことで、より自由を感じることができるようになった。
スキルに言い訳ができなくなった
自分の中での心理的な効果として、自分の持つスキルや能力について甘えることができなくなった。
何の権威付けのパワーも使えないので、自分のスキルに頼ることしかできない。常にスキルや能力を高めつける必要がある。この事実のおかげで、意志の力が強くなったように思える。
僕が根が怠惰ですぐにサボってしまう。
たとえば、学習をサボりたくなったとき、すでに中退していることを思い出すとやらなきゃという意志が復活する。仕事をサボりたくなったときも、仕事すらできなかったらもうおしまいだから頑張ろうという気持ちになる。
この数年の話でいうと、英語学習に投資する決断をして毎日継続する助けにもなった。
背水の陣という言葉があるが、その心理状態に近い。元々はその言葉自体信じていなかったけど、実際に体感してみると直接的に心に作用することがリアルに感じられる。
良くなかったこと
見下してくる人はいる
あえて良くなかった点を挙げるなら、大学を卒業してないという理由だけで、見下してくる人はいる。多くはないが実際にいる。
社会的地位が高いとみなされる人間の中にもそういう人はいて、明らかにナメた態度をとってきて、相手にしてもらえなかったりはする。
あまり気にしてないし、元からそのタイプの人間と関わりたくないので問題ないのだけど、実際にそういう人間がいることは確かである。
変わらないこと
思い返してみると、当時は極度に不安だった。しかしそれと同時に、その極度の不安が学ぶへの意志を強くした。強迫観念に駆られるように、仕事に関するあらゆる本を読み尽くしたし、その知識が今現在仕事をする上での土台になっている。
今では、あらゆるネガティブな要素はポジティブになりうる、という態度を持つようになった。
これまでは運が良かったと付け加えておく。今のスキルと市場と別の選択をしていれば、今のような自由は得られなかったと思う。
誰も疫病が蔓延し戦争が起こることを思わなかったように、将来のことは誰にもわからない。ただ、学び続ける限り不安を鎮めることはできる。
*1:厳密には、留年と復学を何度か挟んでいるので、実際の時系列はもうちょっと複雑