7月4日
古代ギリシアの話を読んで面白かったので、時系列的にあとにつながる『ローマ人の物語』を読んでいる。
面白くて、戦術の天才ハンニバルの登場からカルタゴの滅亡まで一気に読み通してしまった。跡形もなく滅びてしまった国のことを思うと、どうしようもなく虚しい気分になる。読んでも寂しくなるだけなのに、虚しくなるような話が読みたくなるのはなぜだろう。
ぼんやりと星を眺めているときにも同じような気分になる。小さいころは、空が広かったし星がよく見えた。今では宇宙のことを考えると吸い込まれるような気がして怖いので、あまり夜空を見ないようにしている。
約束どおりにカルタゴにもどったレグルスを、カルタゴ人は、丸い籠の中に押しこめ、それを象たちがフットボールするというやり方で殺した。
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全力で生活する
私は自分の天才のすべてを生活に注いだが、作品には自分の才能しか用いなかった。
スーパーの半額寿司を食べていた。よなよなエールを飲んでいた。いまの自分に足りていないのは、全力で生活することだと突然気づいた。
たとえば、目玉焼きをやく、洗濯物をたたむ、喫茶店でコーヒーを飲む、散歩中に河川敷のベンチに座る、そういう生活のあらゆる要素に目を光らせながら生きる態度が足りない。理性的な人間として生きるなら焼き切れるくらい頭を回転させて死ぬ気で生活するべきだ。
そういうことを考えていた。ビールを飲み切って、エアコンの冷房を最強にした状態で今この文章を書いている。
お茶を飲んだりコーヒーを飲んだりして、カフェインを摂取したあと、考えることがおかしくなることに思い返してみて気づいた。その証拠に「生活」というキーワードでEvernoteのメモを検索すると、何を言ってるのかわからない文章ばかり出てくる。
文脈から無理矢理剥ぎ取られたような言葉がひとりぼっちになって並んでいて、メモには文脈について何も説明がないので意味がわからない。
- 将来やりたいことは古墳を作ることしかない
- サブカル美少女だから生活に苦しくなっておじさんに身体を売ったりもする
- 女子大生に生まれ変わったら 清潔感だけが取り柄の大学生男を使役して 優雅な生活する
- しかも誰もそのことに気づきはしない。インターネットが思考も感情も生活も蝕んでいるからだ。
- 戦争は多くの犠牲者を生み、豊かな生活を破壊することとなった。
- 朝起きてみんなが学校や職場に行く姿を部屋の窓から眺めるような生活をしたい
- 見よう見まねで社会生活の仕方を学ぶことになります
- つまり、幼児が親に依存する期間が長くなるから、それにともなって親が子に生活の技術を教える期間が長くなるのである。
- 海外留学を絶対すると言ってる人たち、海外で輝くほどに充実した生活を送る今とはまったく違った自分という幻影を見せられてる
- インターネットが生活を蝕む
- エスキモーは本来自分たちの力のみで自活して暮らしていたが、白人との接触により貨幣経済に巻き込まれ、また飲酒などの習慣により堕落した生活を余儀なくされた - Wikipedia
- 大学生活というのは感情を失う運命にある。その運命を回避するためにはいくつかの選択肢がある。
- 否応なく生活にモノは増えていく 大事なことは積み減らすこと
- オナニーは自己の生理調節だけではなく、増殖し収集不能になりつつある記憶、思い出などを「管理」するための、きわめて人工的な摩擦運動である。 - 寺山修司
- 生活ができないのは仕方ないからある程度は犠牲にしていい
- 与えられた宿命は、生活を取り戻すことだ。生活のある生活。生活を生活することへの使命感。
- 現代の資本主義社会には生活はない。あるものはただ宿命だけだ。 - ジャン・ポール・サルトル
出典を書いているもの以外にも本やインターネットからの引用があると思うのだけど、一切記録がないからわからない。引用元がわかった人がいたら教えてください。
僕が生活について何か言っていることがあったら、だいたいカフェインの興奮作用で頭がおかしくなってるときなので気にしないでほしい。自分の頭がおかしいときに、頭がおかしいと判断できるのが最高の理性だと思う。
6月30日
今日も一日ぼんやりデーだった。頭がぽわぽわしてて何をやっても頭が働かない。
体調の問題だと思って、ヘム鉄サプリを飲んだりとかしてみてるけど、何も変わらない感じがする。食べ物か天気が原因のような気がしてるのだけど、どっちなのかわからない。もし天気が悪いから気分が悪くてぼんやりしてるのが理由だとすると、日本に住んでると梅雨があってどうしようもないし、はやく移住するしかない。
昼にコンビニのオムライスを食べて、夜にスーパーの酢豚と半額サラダを食べた。
6月29日 教養
昨日調子が良かった反動なのか、一日中ぼんやりして活力が湧いてこない。雨だったからかもしれない。
最近、少しずつギャングスタ・ラップの勉強をしている。
一時期アメリカに遊びに行ってたおかげで、スラングは少しわかるのだけど、それでもラップに出てくる語彙はむずかしくて歌詞を理解するのに苦労する。
Geniusという歌詞を注釈つきで見れるサイトでちまちま読んでいる。注釈がついていてもアメリカ文化やヒップホップの文脈について知識が足りなくてわからないこともある。
歌詞の意味が分かるようになっても、聞き取れるようになるかは別でさらにむずかしい。これまで僕が本などで接してきた英語のレベルのなかでも、一番ハイレベルな感じがする。もしもギャングスタ・ラップが大学受験の問題に出されたとしたら、一部のアメリカ帰りの不良以外は誰もわからなさそう。
それにしても、学校で"fuck"をまったく教わらないのはどうかと思う。"fuck"を使った表現がわからないと、ネットに転がっているかなりの文章が読めないし、映画を見てもわからないし、友達とコミュニケーションをとるのにも苦労する。
そういえば、中学校のとき英会話の授業で、アメリカ人の先生が教材としてEminemの曲を使ってた。学校で教えても怒られないのは、エミネムがギリギリって感じだったのだと思う。先生はエミネムの別人格が登場しない曲だけを慎重に選んできて教室で流してた。
学校でギャングスタ・ラップを体系的に教えられていれば、僕も今頃こんなに苦労してないだろうし、国際社会で言いたいことが言えるグローバル人材が大量発生して、日本のGDPも二倍くらいになってたと思う。
6月28日
朝にフルーツグラノーラを食べると決まって二度寝してしまう。フルグラか牛乳のどちらかに睡眠薬でも混ざっているのではないか。
昼に冷凍チャーハンを食べて、夕方にローソンのLチキを食べる。
何日かぶりにOculusを立ち上げて、VRで飛行機の機体工場を見学した。 www.360ch.tv
VR版Abema TVみたいな感じのサービスで、コンテンツはまだ少ないみたいだけど、けっこう新鮮な体験だった。原宿の地下アイドルのライブ動画も観た。360度見回せるので、後ろを振り向くと客席のオタクたちがエキサイトする様子が見れるのがよかった。アイドルがライブ中に見てる景色ってこういう感じなのか…
昔セカンドライフというPCのなかで生活できるサービスが話題になってたけど、それのVR版みたいなのをやってみた。 altvr.com
初心者部屋に入ると、何人かが英語で会話してたので、ハロー、キャンユーヒアミー?、オゥ、ディスイズグレートとかいう風にちょっとだけ話した。初心者部屋なので、親切なガイがいて英語でアバターの変え方などを教えてくれる。ロボットのアバターの割に声はちゃんとおっさんなので、なんだか慣れない感じがする。
昔セカンドライフをやったときと比較すると、格段に体験が良くなっている。だけど、操作をすこし間違えると、建物の壁と壁の間にワープして挟まってしまったりするので、根本的なところはそんなに変わってないのかもしれない。
6月27日 エアコン
昼に河原町の丸善に行って本を見たあと、珍遊でラーメンを食べた。
部屋のRaspberry Piの仕様を拡張して、赤外線リモコンを使ってエアコンを制御できるようにした。
AWS IoTにMQTTというプロトコルで room/aircon
{ "on": true }
という風にメッセージを送ると、Raspberry Piが赤外線通信をしてエアコンがつくという仕組みになってる。irMagician というUSB接続の赤外線モジュールを使っている。
Micro USBケーブルが無駄に長くて、見た目が完全にイカれたクルマみたいになってきた。
家の電球がPhilips Hueという通信で制御できるやつなので、ついでにそのAPIを使って外から家の電球を点けたり消したりできるようにした。
これで家の電球やエアコンを操作する下地が整ったので、温度や明るさを見て勝手にエアコンをつけたり電球をつけたりする野望に近づいた。それができて何が嬉しいのかということだけど、正直言って、今のところ大して便利になりそうにない。むずかしい仕組みにして苦労するよりも、エアコンを入れるくらいリモコンのボタンを押すほうが簡単に決まっている。こういう活動は、ムダであればムダであるほど純粋に楽しめるような気がしている。
6月26日
昼ごはんに韓国料理屋で石焼ビビンバを食べた衝撃で気を失ってしまい、気づいたら夜になっていた。
デカルトの『方法序説』を読んでいる。『ヨーロッパ思想入門』に「哲学とはなんであるかを知るのに必読の古典」と書かれていて気になった。
思いのほか読みやすくて、400年近く前に書かれた本とは思えないくらい親しみを持てる。冒頭部には自伝的な記述もあって、青春小説のようでもある。書物を捨てて、旅に出て「世界という大きな書物」を研究するようになった経緯がとても面白い。
わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかも見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり、さまざまの経験を積み、運命の巡りあわせる機会をとらえて自分に試練を課し、いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点をひきだすことだ。
というのは、各人が自分に重大な関わりのあることについてなす推論では、判断を誤ればたちまちその結果によって罰を受けるはずなので、文字の学問をする学者が書斎でめぐらす空疎な思弁についての推論よりも、はるかに多くの真理を見つけ出せると思ったからだ。
- 作者: デカルト,Ren´e Descartes,谷川多佳子
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デカルトの生きた時代は、ちょうどガリレオ・ガリレイが地動説を唱えて弾圧されたのと同じ頃だった。教義に反する主張をしたために何人もの科学者が権力によって焼き殺された。今の時代だと、ちょっとブログに変なことを書いても、ブコメでどこからともなくやってきた大量のおっさんに説教されるだけで、突然死刑になったりしない。