不眠東京 徒歩で山手線一周

人生には、これをやらないと一生後悔するだろうなと思う瞬間がある。その瞬間が来たときには、必ずそれを実行するようにしている。 当然ながら理性が抵抗するわけだけど、なんとか抵抗を押し返す。

電撃のようにその瞬間が来たのは、GW前の平日にオフィスで仕事した後帰る間際のことだった。

同僚のTくんが日曜に山手線を徒歩で一周した、と言う。「本当に素晴らしい体験だった、お前らもやるべきだ」とやや煽り気味に伝えてくる。
確実にしんどいからやだな、と思った。しかし、GWの祝日があり、天候も良く、歩くのにこれ以上に素晴らしいタイミングはないと気づいた。

山手線一周をやらないと絶対一生後悔する、と思った。この瞬間がやってくると僕はやらざるを得ない。その場でもう一人の同僚と一緒に歩く決断をした。

事前情報

山手線についてはそれほど知らない。東京を走っている電車ということは知っている。駅の名前を全部言うことはできない。

聞いた話をまとめるとこんな感じだった:

  • 一周は大体40km
  • 駅は全部で30コある
  • 電車に乗ると約1時間で一周できる

思想

40km の距離を歩くという無味乾燥で単純な行為を実行するためには、思想というものが重要になってくる。たとえば、約40kmを走るという行為はマラソンという記号と意味がなければただの奇行である。260円で1時間で済む移動を、わざわざ歩いてすることには経済合理性は一切ない。

夜の東京を歩く

夜の街が好きだ。夜はクールで静かだ。昼間とは変わった表情のビルを見るのが好きだし、冷たくなったアスファルトに触れるのも好きだ。
6年前に東京に引っ越してきてからまだ見てない部分の街がある。地に足をつけて歩くことで、街を身体の一部として感じたい。

実行するのは祝日なので、活気のある夜の街を見ることができるはず。ウイルスが来てから何年も、夜の賑わいが恋しくなっている。

同僚のTくんが歩いたのが昼なので、夜眠らずに歩くことでマウントをとりたい、という意味合いも若干ある。

記憶の旅

山手線の駅は30コある。駅1つ1つを20代までの自分の誕生日に対応させると、1年ずつ思い出すことができて、これまでの人生の記憶を同時に旅することができる。

0才の頃の記憶は当然ないし、30個目のことはまだわからない。普段忙しく生きてると、時間軸を通り抜けるように記憶を取り出すことはないから、不完全でも面白いだろう。走馬灯のようなものかもしれない。

恵比寿駅 スタート (0km)

2022年5月3日 祝日 18:00 に恵比寿駅に集合した。渋谷方面に時計回りに歩き始めた。

品川・大崎方面でなく、渋谷・新宿方面に歩き始めたのは、人が賑わっているうちに渋谷・新宿・池袋の街を見たほうが楽しそうと思ったからだった。 この意思決定は終盤に響いてくることになる。

渋谷駅〜池袋駅 (~14km)

渋谷、原宿、代々木、新宿、新大久保、高田馬場、目白、池袋。

とても心地よい歩行だった。馴染みのある道も多くて、2時間ほどで池袋に着いた。僕は、家から遠い、という理由で新宿や池袋での飲み会の誘いを断ってたタイプの人間だけど、歩いてみると意外と近く感じられた。

着いた駅の看板の写真を毎回とることにしていて、大型の駅で良い撮影スポットを探すのに、若干距離を消費したけど、それ以外には大きな問題は感じなかった。

ただし、池袋に到着したときには、右脚に違和感のようなものを感じ始めており、確実にHPが減っているという感覚はあった。体力はまだあるが、確実にダメージは受けている。

20時頃でちょうどよかったので、晩ごはんをなか卯で食べる。テンションが高いので、親子丼にミニうどんをつけた。ミニうどんを食べる意思決定はこのあとに影響してくることになる。

池袋駅上野駅 (~25km)

池袋、大塚、巣鴨駒込、田端、西日暮里、日暮里、鶯谷、上野。

歩行開始から約5時間、上野駅に着いた。この区間は日常生活ではほぼ来ることがないので、東京の街の知らない部分、という感じだった。来たことはなかったけど、歩いていて静かで落ち着く。

びっくりしたのは、ほぼどの駅にもアトレ(商業施設)が付着している。建物が新しい駅も多い。

上野駅までくると、もうけっこう回れたかなと勝手に思っていたけど、実際はまだ半周だということに歩いている途中で気づく。

歩くのにはそこまで支障はないけど、ダメージは右脚に確実に蓄積しており、上野駅に到達する前に右脚のHPゲージはゼロになっていた。1度目の右脚の限界が訪れて、痛みは次のレベルに達したように思う。

また、なか卯でミニうどんを欲張って食べたことがマイナスの効果となって現れた。胃が収縮してうどんを消化できてない感覚があり、気持ち悪い。たまに胃から逆流した関西風うどんだしのフレーバーが鼻を通り、夜の冷たい空気中に抜けていく。

上野駅は23時だった。上野駅の看板の写真をスマホで撮ってると、 泥酔した若い女に「何やってんの??」と話しかけられる。 駅の写真を撮ってる、と言うと「そうか駅の写真撮ってるんだ…」と戸惑った顔をしていた。 女は仲間に介抱されて改札に去っていった。

上野駅〜新橋駅 (~33km)

上野、御徒町秋葉原、神田、東京、有楽町、新橋。

歩行開始から約6時間。夜0時ちょうどに東京駅を通過して新橋駅に着く。上野から東京までは駅から駅の距離が小さく、道もまっすぐで、テンポよく進めた。

東京駅には人間がほぼいなかった。休日に人が少ないといっても極端過ぎるように感じた。清潔で道が広いのに人間がほぼいない。
有楽町、新橋の辺りにもあまり人がいなかった。飲み屋の多くも閉まっていて、人の気配がない。

右脚は1度目の限界を通過し、2度目の限界に近づいている。右脚の部分的だった痛みはすでに伝染するように腰まで達してきていた。

ここ最近は健康的な睡眠サイクルにチューニングされていたので、0時になるとすでに眠い。脚の痛みと眠みが交互にやってくる。

新橋駅〜田町駅 (~36km)

新橋、浜松町、田町。

駅でも2駅、距離的にも3kmしかないが、精神的な距離はとても長かった。新橋駅を過ぎると、途端に街の空白が増えてくる。空白が増えると、眠気が増す。

この区間で、右脚は2度目の限界を超えて、右脚としての正しい機能を失った。歩くことはできるのだけど、シフトキーが動かないキーボードみたいに本来の機能が使えない状態になった。
下半身は腰から爪先までまんべんなく痛みが行き渡り、痛みを詰め込んだ革の袋みたいだった。

このままではまずいので、公園で休憩をとったがあまり回復しなかった。休憩をとると、痛みと交代して強い眠気がやってくる。 唯一効果を感じたのは、分けてもらったシゲキックスで、酸っぱさが脳を貫いて目が覚めた。

足が2本の棒のようになって、ゾンビみたいに歩いていた。足を限界まで使うと、自然とゾンビのような歩き方になっていくのは面白い発見だった。ある意味でゾンビ歩きは理にかなっている。

田町駅〜大崎駅 (~41km)

田町、高輪ゲートウェイ、品川、大崎。

大きな虚無の中を歩いている気分になる。街に見るものは特になくなり、3D空間をただ歩行して進んでいる気分になる。

僕はこれほどまでに高輪ゲートウェイを憎んだことはない。駅までが遠い。直線的で人工的な道を冷たい風が通り、薄いパーカーを突き抜けて体が震えた。写真を撮るために立ち止まった一瞬を狙って、眠気が攻めてくる。

腰と脚全体が限界を迎えた後は、シンプルに精神の闘いになってくる。身体の力ではなく、意志の力だけど前に進んでいるイメージがあった。

身体で戦えなくなると、言葉で戦うしかなくなってくる。「痛いけど歩けるから、痛みは非本質的で無関係」「しんどいオブ・ザ・イヤー2022受賞決定」などといった言葉の空中戦を交わしていた。

品川駅と大崎駅の間が一番つらかった。坂は長く、道はとんでもなく大きく、心細い気分にさせられた。こんなに弱々しい気分になったのは、インドで食中毒で一人寝込んだとき以来だ。

大崎駅に着いた時刻は正確に覚えてないけど、駅のシャッターは閉まっていて、看板の写真を撮るのに手こずったのを覚えている。

大崎駅〜恵比寿駅

大崎、五反田、目黒、恵比寿。

大崎駅から恵比寿駅までの距離は、ただ耐えて進むだけだったと思う。

午前4時に恵比寿駅に着いた。トータル距離は45km。18時に出発したので、時間だと約10時間かかった。
これほどの距離を歩いたのは人生で初めてだったので、達成感があって良かった。

旅の終わり

電車もないし、脚ももう使えないので、恵比寿駅からはタクシーで家に帰った。 タクシーから降りたとき、ちょうど夜明けで、朝焼けが赤から紫に向かってグラデーションを作っていて美しかった。

参考のために、当日のツイートとスクリーンショットを貼っておきます。