10時起床。昨日眠れなさそうだったので、睡眠導入剤を飲んだのだけど、どうも効きすぎてて朝の目覚めが悪かった。天気が良かったので川に散歩に行く。天気が良いと気分も良い。
昼にコンビニサラダ、目玉焼き、シャウエッセンを食べる。夜はスーパーの酢鶏弁当。
昨日のUnityで作った玉転がしゲームが味気ない感じだったので、モアイ像とPerfumeを配置した。Unityちゃんという初音ミク的なキャラクターも端にいる。
土曜日は、昼まで寝ていたので、夜に焼肉屋で牛肉を食べることしかしなかった。肉寿司をはじめて見たんだけど、こんなに崇高な存在だとは思わなかった。
VRに興味が湧いてきたので、Unityを触ってみている。チュートリアルで作った玉転がしのゲーム。
ゲームが作りたくてプログラミングをはじめたはずなのに、いつの間にかゲームへの興味がなくなって、ゲームエンジンを一度も触ったことないままこの歳になってしまっていた。
たまには真面目に選挙に行こうかと思って、各政党の政策を読んでみたけど、どの政策集を読んでも同意できなくてイラついてしまったので、結局投票に行くのをやめた。ある政党の政策が良いなと思っても、ほかの一部の政策が狂ってると思うと信頼できない。たとえば、税制がシンプルになると嬉しいけど、日本が核武装した宗教国家になると困る。
昨日の夜まったく眠れなかったので、『マネー・ショート』という映画をiTunesで観た。世界金融危機がテーマの映画で、ストーリーはかなり地味なんだけど、実話に基いているので考えさせられる。マイケル・ルイスの金融ノンフィクションは好きで、何冊か読んだ。金融界は狂っていることくらいしか読んでも学べないんだけど、それが本の最大のテーマだったりする。
15時頃にカフェに行ってカプチーノを飲む。最近、機械学習で文字認識をやろうとしている。なかなか慣れないので、時間がかかる。機械学習は思慮深くやらないととてつもなく間違った答えが出てしまって痛い目に遭う感じがする。普通のプログラミングはトライアンドエラーをガチャガチャ繰り返していればなんとなく動くようになるから、思慮することが意外にない。
作業の途中でランダムに生成した画像。機械学習用のデータセットの画像には、なんとなく味わいがあるような気がしている。
そういえば、色々あって求職活動中です
— ウイウ (@uiureo) 2016年7月7日
最近はどうしても人生を考えてしまう。
10時に起床。狂ったように毎日目玉焼きとシャウエッセンを食べている。
昨日の夜格闘して、自宅用Slackで「でんきけして」と言うと明かりを消してくれるようにした。裏側の仕組みは全部AWSを使って作っている。AWS IoTのMQTTサーバーに明かりを消すコマンドを送るAPIをAmazon API Gatewayという仕組みで用意して、Slackに投稿されるとメッセージを処理するAWS Lambda上の関数からそのAPIを叩いている。素朴なことをするだけなのに、なんでこんなに複雑になるのか。
一応複雑なだけじゃなくて、頑張って既存のサービスをごちゃごちゃ組み合わせているおかげで、サーバーの管理をほとんどしなくて済むし、デバイスの数が100台くらいになってもうまく動くような仕組みになっている。つまり、ある日突然親戚の石油王から100部屋以上ある豪邸を譲り受けても、問題なく家全体の温度や明るさを監視することができる。
Slack経由で黒人の殺し屋が自宅の電球やエアコンを消してくれる環境が整ってきた pic.twitter.com/ZEoXsilEc1
— ウイウ (@uiureo) 2016年7月6日
将来が不安になってきたので、前職の会社に相談しにいったり、先輩と電話で話したりした。人に話すことで自分の状況がよりはっきりわかるようになる気がする。
古代ギリシアの話を読んで面白かったので、時系列的にあとにつながる『ローマ人の物語』を読んでいる。
面白くて、戦術の天才ハンニバルの登場からカルタゴの滅亡まで一気に読み通してしまった。跡形もなく滅びてしまった国のことを思うと、どうしようもなく虚しい気分になる。読んでも寂しくなるだけなのに、虚しくなるような話が読みたくなるのはなぜだろう。
ぼんやりと星を眺めているときにも同じような気分になる。小さいころは、空が広かったし星がよく見えた。今では宇宙のことを考えると吸い込まれるような気がして怖いので、あまり夜空を見ないようにしている。
約束どおりにカルタゴにもどったレグルスを、カルタゴ人は、丸い籠の中に押しこめ、それを象たちがフットボールするというやり方で殺した。
私は自分の天才のすべてを生活に注いだが、作品には自分の才能しか用いなかった。
スーパーの半額寿司を食べていた。よなよなエールを飲んでいた。いまの自分に足りていないのは、全力で生活することだと突然気づいた。
たとえば、目玉焼きをやく、洗濯物をたたむ、喫茶店でコーヒーを飲む、散歩中に河川敷のベンチに座る、そういう生活のあらゆる要素に目を光らせながら生きる態度が足りない。理性的な人間として生きるなら焼き切れるくらい頭を回転させて死ぬ気で生活するべきだ。
そういうことを考えていた。ビールを飲み切って、エアコンの冷房を最強にした状態で今この文章を書いている。
お茶を飲んだりコーヒーを飲んだりして、カフェインを摂取したあと、考えることがおかしくなることに思い返してみて気づいた。その証拠に「生活」というキーワードでEvernoteのメモを検索すると、何を言ってるのかわからない文章ばかり出てくる。
文脈から無理矢理剥ぎ取られたような言葉がひとりぼっちになって並んでいて、メモには文脈について何も説明がないので意味がわからない。
出典を書いているもの以外にも本やインターネットからの引用があると思うのだけど、一切記録がないからわからない。引用元がわかった人がいたら教えてください。
僕が生活について何か言っていることがあったら、だいたいカフェインの興奮作用で頭がおかしくなってるときなので気にしないでほしい。自分の頭がおかしいときに、頭がおかしいと判断できるのが最高の理性だと思う。